83歳筆者が考える「感性の劣化」...若い世代との共感を保つため、必要なこと (3/5ページ)

Jタウンネット

観る人々の心を慰めるものであることは間違い無い。そして撮影者達は自分の写真をアップロードする際同時に、同好の仲間達の写真を見ることによって、そこでは、現実世界である職場や学校の教室での「軋轢」や「疎外感」から離れることが出来、同じフィールドで、同じ被写体を追っている仲間達の存在を身近にを感じ取ることが出来るに違いない。
インターネット上の、或る特定の空間には、間違い無く仲間達が存在する、という思いに至ることによって、平和な連帯感のようなものを各自が、獲得できる出来るのであろうか。

この後者のケースは筆者でも、然程極端に肉体的負担を要すること無く、参加できそうなので、何れ試してみよう。こんなことを書いたのは、先の「応援上映」のようなケースでは、自分の身を、少なくとも上映館まで運び、費用を掛けて入館し、映像が上映されている間、その場で、他の観客達に混じって、定められた時間に亘り、わが身をそこで(大袈裟に言えば)拘束状態としなければ、観客達の一体感状況を感知することは叶わないからである。

そして、そのような諸条件をクリアすることは、一般的に言って、高齢者にとっては、それなりのハードルがあり、若者や壮年時代の人々とは、ちょっと事情が異なる。だから、そのような場合、肉体的負担や経済的負担が高齢者にとっては、決して馬鹿にならないのである。

つまり、殆どハンディを意識することも無く、その場に容易に身を置き、しかも己を心身共に解放した状態に到達させるのは、高齢者にとって、(たとえ、彼もしくは彼女自身が、その対象に相当高い関心を有している場合ですら)なかなかに困難ということになるのだ。勢い、或る対象に対する感性が劣化せざるを得ないという事態に立ち至るのは、これまた、自然の成り行きなのかも知れない。

それは、自分より若い世代の人々と接したり、行動を共にしたりする機会があると、(改めて筆者は、)自分が既に彼らとは同じ舞台上に立っていないことを痛切に感じさせられるのだ!

この事態は、明らかに、筆者サイドの感覚であり、偶々私と関わった(筆者より)年下の人達が意識して、筆者がその状態にあることを思い知らせようとしたわけでも何でも無い。だが、高齢者の一人である筆者は、そうは感じない。

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