83歳筆者が考える「感性の劣化」...若い世代との共感を保つため、必要なこと (5/5ページ)

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「老化」という生理的現象は、その種の必要条件を維持することを、大なり小なり困難にする。それを自覚しつつ、どこまでその必要条件を維持し得るか?それは、一(いつ)に、そのご当人に課せられた課題と言えよう。

自戒であるが、元々若い人達と同じ感性を持とうとしても、それはハナから無理というもので、出来るのは、可能な限り柔軟に、先入観を持たず、想像力を豊かにし、限りなく若い人々の感性に近付こう、という忍耐と不断の努力くらいしかなく、それによって、初めて、少しは目標に近付くことも出来るのであろう。

そのためには、これまでも書いて来たように、高齢者は肉体を鍛えること、可能な限りそのフィールドに身を置くよう努めること、そして、或る意味で頭の中を空っぽにして置くこと等、が求められることになる。

生き物が老化するものである以上、これらの条件が努力によって担保されない限り、急速な「感性」の劣化は誰にとっても、避けようの無い事態となるのは間違い無い。

従って、その成り行きを受け入れたくない高齢者はもとより、その予備群たる青壮年世代の諸君も、無関心に日を送るのでは無く、その日に備えて、容易に「感性」の劣化を招かないために、不断の努力を怠らないことこそ肝要である。

「瑞々しい感性」というのは、ヒトの五感を高いレベルに保つための貴重な資質の一つである。しかし、普通の市井人であれば、殊更、高度のそれを求めることも、また一般的に余り無いだろう。ただ、豊かな「感性」を持つ人は、人間として恵まれた人生を送れるケースが圧倒的に多いであろう、と考えられるし、また高齢者においては、若者たちと共感できる世界に長く身を置くことが可能となり、彼らからの思わぬボーナスとして、若いエネルギ-を受け取ったりするチャンスもあるかも知れない。だから、ここで「感性」を高め、維持するための普段からの努力を怠たってはなるまい、と筆者は改めて自戒するのである。

buraijoh.jpg筆者:ぶらいおん(詩人、フリーライター)東京で生まれ育ち、青壮年を通じて暮らし、前期高齢者になって、父方ルーツ、万葉集ゆかりの当地へ居を移し、今は地域社会で細(ささ)やかに活動しながら、西方浄土に日々臨む後期高齢者、現在100歳を超える母を介護中。https://twitter.com/buraijoh
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