83歳筆者が考える「感性の劣化」...若い世代との共感を保つため、必要なこと (4/5ページ)

Jタウンネット

たとえ、普段それを忘れてしまって(特に高齢者のみ世帯では)いたとしても、異なる世代の人々と接したときに「自分が既に舞台から退場してしまった登場人物の一人である」ことを改めて、痛感させられる。

それは、どう?言ったらよいのだろう。今、より若い世代の人々と共有しているはずの世界が、以前と違って、何かよそよそしいものとして感じられるようになってしまったことである。自分の立ち位置というのが、どこか空々しく、その中に自然にどっぷり浸かっていて、特別な意識などしていない、という感覚からは程遠いように思えてならない。それは、実は、とても淋しいことでもある。

「老兵はただ消え去るのみ」と格好つけてみても、本当のところは「寂しくて、情けないばかりだ」。人間にとって、矢張り一番こたえるのは、大勢の人達が居て、自分もその中の一員として自然に溶け込んで存在していることである。その点、悟りの境地にまで達した人物なら、たとえどんな事態が起ころうとも、そんなことで動じることもあるまいが、筆者のような、ごく普通の小人(?)にとっては、疎外されたような居心地の悪い状態に身を置く事は、それだけで、日常生活における大問題となるのである。

しかし、また、そんなことは、(人にもよるだろうが)自然の流れに過ぎず、殊更気にしないのが普通なのかも知れない。

にも、拘わらず、それを意識したとすれば、それが、その人にとって、将に老化の兆し以外の何ものでもないのだろう。以前公開したコラムにも書いているが、老人となるまでは、誰しもが殊更意識せずに、普通にこなしている歩行や、衣服の着替えなどという日常生活における行動が、改めて、意識し直し、また失敗(例えば、転倒)しないように極力注意を払って、努力しなければ困難となる事態、そういうことが現実の我が身に起こったとき、人は愕然として、為す術も無いまま日々衰え、何れは生命の消滅に至るケースだって、決して少なく無い筈だ。

私が言いたいのは、「感性」を劣化させることなく、その侭維持して行くか、あるいはそれ以上に高めるためには、「感知」すべきフィールドに我が身を置かない限り、つまり、所詮生身の人間という存在である限り、その成否は一重に、その必要条件を確実に確保し得るか、否かに懸かっている、と考える。

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