【日本人が知らないニッポン】長篠古戦場で鉄砲演舞に興奮! (1/2ページ)
「奥三河」というエリアをご存知でしょうか?
大雑把に言えば「JR飯田線の愛知県エリア」なのですが、ここは地域文化圏の境目でもあります。三河、尾張、信州の3文化が混在しているのです。
そしてそのような土地は、戦略的な重要地点でもあります。戦国時代、ここは諸大名の闘争の場として激しく燃え上がりました。
奥三河ウォッチングは、戦国期の歴史を語る上で欠かせません。
・大勢力衝突の場
織田信長、徳川家康、武田信玄。この3人の大名を知らない日本人はいないでしょう。
彼らに共通する点は、「赤味噌文化圏」の出身だということ。こう言うと、やや話が飛躍してしまうでしょうか?
ですが、この3人の出身地はお世辞にも「稲作に恵まれている」とは言えません。武田信玄の支配した甲斐や信濃などは、水田農業に極めて不利な山岳地帯です。ですから、生産の容易な大豆だけで作ることのできる赤味噌が彼らの栄養源でした。
日常的に赤味噌を食していたからこそ、尾張や三河出身の人間が天下を取ることができたという説もあります。
精強な軍隊を持った尾張・三河・信濃の領主は、その総力をかけて覇権を争いました。日本史を揺るがす決戦の舞台、それは奥三河地域の中心である長篠城と設楽原です。
・経済がモノを言う時代
いわゆる「長篠の合戦」は、織田・徳川連合軍と武田軍の一大決戦です。
この戦いは「織田信長の三段撃ち」で知られていましたが、近年の研究では三段撃ちは否定されつつあります。そもそも鉄砲保有数で言えば、両軍大差ありませんでした。
では何が勝敗を決めたかというと、それは「経済力」です。