かつて隕石が衝突したコンパスが制御不能となる場所、UFOが集うとされているメキシコ「サイレンス・ゾーン」 (2/6ページ)
「そのときオレは目が覚めて、空が明るくなったのを見たんだ」パラシオスは隕石について語った。
「何マイルも離れた場所にいた人が光を見て、窓が割れるほどのものすごい衝撃音を聞いた。あれは世界中の研究者の関心を引いたよ」サイレンス・ゾーンという名前は1966年に初めてつけられた。石油会社のペメックスがこのエリアの調査のために乗り出し、リーダーのオーガスト・ハリー・デ・ラ・ペーニャが電波が届かないことに困って、サイレンス・ゾーンと名づけたという。
パラシオスの農場の入り口
アメリカのロケットが墜落
それから、このエリアが注目されるようになり、1970年7月11日には、新聞の一面を飾った。アメリカのロケット、アテナが、上層大気調査のためにユタ州グリーン・リバーの空軍基地から打ち上げられた。ロケットはニューメキシコ州ホワイトサンズ近くに落下する予定だったが、大きくそれて午前2時にサイレンス・ゾーンのど真ん中に落ちたのだ。
ゾーンは一時的に国際的に注目され、地元の人たちは観光事業を当てにした。アメリカの宇宙計画確立を手助けした、元ナチの有名なロケット科学者ヴェルナー・フォン・ブラウンが、アメリカ政府に代わって調査にやってきた。そのブラウンを列車の駅で迎えたのが、当時のエスカロン市長だったパラシオスの父親だった。
ブラウンは、セスナで偵察飛行を行い、隕石の衝突現場を確認した。その後、300人のメキシコ人労働者を使って、砂漠を横切って隕石が衝突してできたクレーターへつながる16キロのの鉄道支線が建設された。それから、アメリカ人研究チームがやってきて、発掘をした。
「フォン・ブラウンは、28日間ここに滞在していたよ」パラシオスは案内しながら言う。「アメリカ人たちは、砂漠の中に臨時の寮、研究室、厨房、医療施設を作った。