小池百合子 逆境ハネ返し「突破の女王」!!(4)チャレンジ精神で政界入り (2/2ページ)
〈候補者を出せない責任もある。この際、私がやるしかないか‥‥〉
参議院選挙公示まであと10日あまりに迫った6月末のある日。何かストンと腹に落ちたように、吹っ切れた小池は決断を下した。
〈やはり、日本新党から立候補しよう!〉
6月29日、細川は記者会見を開き、小池を公認することを発表した。
小池は、立候補の弁を語った。
「大企業のような自民党でなく、お金も無い、無い無い尽くしの日本新党ならやりがいがある。国会では、PKO(国連平和維持活動)協力法で反対か賛成か踏み絵みたいな議論が続き、きちっとした審議がなかった。牛歩戦術にも疑問を感じた」
小池は、立候補することを決めたものの、実際、当選するかどうかはわからなかった。もしかしたら、立候補によって、それまで築きあげたものすべてを失うことになるかもわからない。
〈そうなった時には、またアラブへ行けばいい。やるべきことは、たくさんある〉
それよりも、いわゆる清水の舞台から自分が飛び降りることで風を起こしたかった。
7月8日、参院選が公示された。日本新党の候補者は16人となり、細川が決めた名簿順位も発表された。
当初、細川は選対会議で「私はむしろ、10位くらいのほうがいいのではないか」と言っていたが、周囲から「やはり代表は1位であるべきでしょう」と諭され、1位となった。
そして2位には、メディア界出身で知名度の高い小池が選ばれた。ところが、小池は自ら順位を下げてほしいと申し出た。その場にいた小沢鋭仁などは目を丸くした。普通なら、自分の順位を1つでも上げるようにゴネるところだが、小池の申し出は逆だった。
理由は下位に置かれた女性候補が、順位を不満として、立候補を辞退すると言い出したからだ。小池は女性候補と入れ替えるよう、執行部に申し出ただけでなく、当の女性候補と直接連絡し、入れ替わるから辞退をしないようにと翌朝まで説得を続けた。しかし、最後まで女性候補は首を縦に振ることはなかった。
結局2位の順位で出馬した小池は、公示後、名古屋を皮切りに全国を駆け回った。
大下英治(作家):1944年、広島県生まれ。政治・経済・芸能と幅広いドキュメント小説をメインに執筆、テレビのコメンテーターとしても活躍中。政治家に関する書籍も数多く手がけており、最新刊は「挑戦 小池百合子伝」(河出書房新社)。