天才テリー伊藤対談「三浦大輔」(3)ここ数年で横浜の変化を感じました (1/2ページ)
テリー この25年を振り返ってみて、どんな野球人生でしたか?
三浦 98年に優勝を経験させてもらったり、ユニホームに日の丸をつけさせてもらったり、うれしいこともたくさんありましたけど、勝てなくてつらい時期のほうが多かったですね。
テリー 横浜は02年に最下位になると、そこから低迷期に入りますね。
三浦 優勝した時は20代後半の若い選手がたくさんいて、これから横浜の時代かなと思ったんですけど、みんなどんどん出ていってしまって、「あれ?」と思ったら2、3年でガタガタになりました。
テリー キャッチャーの谷繁(元信)さんも中日に行かれましたよね。あれはショックだったでしょう?
三浦 そうですね。ずっとバッテリーで、ホントにいろいろ教えていただいた方なので。その中で「あ、次はこの球種かな」みたいなことがだんだん理解できて、そこから勝てるようになったんです。そんな熟練のキャッチャーの方がいなくなるのは、やっぱりショックでした。
テリー よくキャッチャーを「女房」って言いますけど、まるで女房に逃げられた旦那みたいですね。
三浦 しかも同じセ・リーグですから。逃げられたと思ったら、「違う旦那と歩いてる!」みたいな感じでね(笑)。
テリー 08年は阪神への移籍話もありましたけど、あの時はどんな思いだったんですか?
三浦 やっぱり「もう一度優勝を経験したい」というのが大きかったんですね。関西が地元なので、「親父の近くで野球をするのも親孝行かな?」という思いもありましたし。
テリー でも、結局は残る決断を下します。横浜っ子は喜んでいましたよね。
三浦 やっぱり横浜を何とかしたかったんですね。