「Veni,Vidi,Vici(来た、見た、勝った)」、F1黎明期のホンダは世界とどう戦ったのか? (3/5ページ)
オーバーヒートに悩まされますが、この3戦を通して対策の洗い出しに成功し、翌年に活かされることになります。
■ 【1965年】1.5L時代最後のレースでホンダ初優勝わずか3レースの参戦、トラブル続出に終わった1964年の雪辱を果たすべく製作されたマシンがRA272です。1966年からは3L化が発表されていたため、RA271の改良版で臨むという位置づけでした。車重の低減、信頼性の向上などがメインテーマとなり、エンジンパワーも230hpへと引き上げられました。軽量化に貢献したのはエンジンで、構造材の変更(マグネシウム合金)などが図られています。また、この年大きく変わったのはドライバー体制でした。前年より起用していたロニー・バックナムに加え、開発能力に優れたリッチー・ギンサーを新たに迎え入れたのです。
この年前半の戦績は、ギンサーが6位をベルギーGPとオランダGPで2回獲得した以外はすべてリタイアと精彩を欠いていましたが、ドイツGPを欠場してエンジンの低重心やエキゾーストの構造変更による出力アップが図られ、完走率が上がっていきました。
そして迎えた最終戦メキシコGP。ギンサーは1周目にトップに立つと、ブラバムのガーニーの猛追を振り切り、見事325kmを走り切り優勝。このレースから復帰した、中島飛行機出身のエンジニアである中村良夫の高地向けセッティングが功を奏したのです。彼はこのレース後、優勝の知らせを本田技研工業の本社宛てに電報で送っています。「Veni,Vidi,Vici(来た、見た、勝った)」(ユリウス・カエサルがゼラの戦いに勝利した際、ガイウス・マティウスに伝えた言葉)と。そして本田宗一郎は「我々は自動車をやる以上、一番困難な道を歩くんだ。勝っておごることなく、勝った原因を追究し、その技術を市販車に入れていく」と報道陣に語りました。
■ 【1966年】混乱のシーズンでつかんだ4位入賞エンジン規定が3Lとなった1966年は、混乱のシーズンとなりました。サプライヤーのエンジンが間に合わない、性能が安定しないなどの理由で、各チームともまともに戦えない状況におちいっていたことがその理由となります。