「Veni,Vidi,Vici(来た、見た、勝った)」、F1黎明期のホンダは世界とどう戦ったのか? (5/5ページ)

イキなクルマで

エンジンは吸排気のレイアウトを変更することで、最高出力440hpを絞り出していました。ちなみにこのシャシーも、ローラの協力のもと設計されています。

リザルトとしてはサーティースが11戦してフランスGPで2位、イギリスGPで5位、アメリカGPで3位を記録しましたが、残りはすべてリタイアという非常に完走率の低いマシンでした。しかし、第1期のホンダF1最強の呼び声が高いクルマでもあります。

一方、このシーズンには一風変わったマシンも参戦していました。それがRA302です。「F1は走る実験室」という宗一郎の思いが色濃く反映されたマシンで、当時ホンダが市販車で進めていた空冷方式としたV型8気筒エンジンを搭載。8気筒としたのは、コスワースDFVを意識したのではないかともいわれています(もちろん冷却性能上の問題もあったでしょう)。こちらは純ホンダ体制で製作が進められました。

しかしデビュー戦となった第6戦フランスGPで、その悲劇は起きてしまいます。アクシデントにより、ドライバーのジョー・シュレッサーが帰らぬ人となってしまうのです。結局RA302は、その後イタリアGPを走ったのみで実戦から退きました。

そしてこの年をもって、ホンダはF1から撤退。市販車の開発に注力することが、その主な理由です。

■ たかが2勝、されど2勝。偉大なるホンダの軌跡

第二期の「強いホンダ」を知っている世代としては、第一期の2勝という数字はとても小さなものに思えるかもしれません。しかしこれを「たかが2勝」と思っていては、その本質を見誤ってしまいます。ひとつは1.5L時代最後に勝ち取った殊勲、そしてもうひとつは3Lという新たな時代の幕開けのタイミングで得た栄冠なのです。このふたつの勝利は、それぞれ重みが違います。時代に埋もれがちな事実ですが「されど2勝」であったことが、今回おわかりいただけたのではないでしょうか。

日出ずる国からの尖兵は、この後世界を席巻する一大勢力へと変貌を遂げていきます。その土壌づくりとなったのが、この第一期といえるでしょう。

最後に、モータースポーツ、そしてホンダF1第一期に多大な貢献を果たされたジョン・サーティース氏が3月10日、83歳で亡くなりました。謹んでお悔やみ申し上げます。

ホンダのクルマをご成約でお得なキャンペーン実施中!詳しくはこちら!

【関連項目】

本田宗一郎が目指した世界一への歩み、自動車メーカー「ホンダ」の歴史を振り返る

【3か月連続連載企画】世界三大レース特集:マイスターを目指して。モナコGP

【特別企画】茨城県のホンダカーズで女性スタッフにオススメの試乗車を案内してもらった

「「Veni,Vidi,Vici(来た、見た、勝った)」、F1黎明期のホンダは世界とどう戦ったのか?」のページです。デイリーニュースオンラインは、クルマの歴史F1ホンダ茨城県カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る