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死体写真は残酷なのか (4/5ページ)

心に残る家族葬

そして、たまたま老人施設から遊びに来ていた祖父が、程なくして亡くなってしまったとき、祖父の死に顔を見た孫が、「おじいちゃんが汚くなっちゃった」と語っていた…など、「今どきの子ども」の事例が、新聞で取り上げられていたことを藤原が目にしていたこともあるだろう。

■遂に死体写真を掲載できるようになったかに思えたが…

そうした社会の空気に敏感な藤原はとうとう、創刊してあまり時が経っていなかった『FOCUS』、1981(昭和56)年12月4日号において、当時NHKの人気番組『シルクロード』、そして「文化」を語り始めたコマーシャルの最先端を行く酒造メーカー、サントリーの「夢街道」シリーズに挑戦した。

「ヒト食えば、鐘が鳴るなり法隆寺」のキャッチコピーを添え、「ヒトとは犬に食われるぐらい自由な生き物なのだ」というメッセージを込めて、ウイスキー広告のレイアウトそっくりそのままの、通称「偽シルクロード」を掲載しようとした。しかし藤原の目論見通りにことは運ばなかった。ウイスキー広告風のレイアウト部分がカットされた形で掲載された。それをもって藤原は、『FOCUS』から手を引くことを決断した。

■現在にもしも死体写真が公開されたら、どのような反応になるだろうか

現代の「何でもあり」の状況で、藤原新也の「人を食らう犬」の写真は、当時ほどの衝撃を世間の多くの人々に与えるだろうか。逆に今は、コマーシャリズムによる異物・汚物の排除がすっかり浸透している状況であるため、当時以上の驚きと拒絶感をもたらす可能性もある。ただ言えることは、現在の日本社会の葬儀のありようとは全く異なるインドの「やり方」のみならず、「インド」並びに「インド人」をも、禍々しい異物・汚物ととらえて、「自分から遠ざけてしまいたい」という敵意や排斥の念を持つのではなく、自分は「屍を食らう犬」を見たくない。自分自身や自分の身内の葬儀をそのようにしたくない。だが、インドで長く続く風習に対しては、最大限の敬意を払う、という気持ちを持つことが肝要だろう。

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