【死後50年】チェ・ゲバラ、見せしめにされた死の真相 (1/4ページ)

東京ブレイキングニュース

【死後50年】チェ・ゲバラ、見せしめにされた死の真相
【死後50年】チェ・ゲバラ、見せしめにされた死の真相

ゲバラを悩ませた厳しいボリビアの自然

2017年1月、私はボリビアを訪れた。

 この国は南米の中央部にある内陸の国だ。面積は日本の約3倍もあるが、人口は日本の10分の1の約1000万人。6000メートルを超えるアンデス山脈と熱帯ジャングルが広がる平地という、極めて多様な自然や文化が存在する国である。ボリビア多民族国という正式名称からもわかるとおり、この国には多種多様な人種が住んでいる。この国を構成している人種は黄色人種系の先住民のほか、侵略してきた白人、そして移民のために明治以降に渡ってきた日本人などである。

 ボリビア第二の都市、サンタクルスから彼の遺体が公開されたバジェ・グランデへはワンボックスカーで6時間、ひたすら山を上っていく道中となった。陸路の旅の途中で感じたのは、その自然の厳しさである。山を削り取って流れてきた渓谷の間を流れる川があったり、食べるものが育たなさそうな荒涼とした山々がどこまでも続いていたりしたのだ。

 私が道中、車の窓から見ていた光景は、ゲバラの苦難を物語っていた。こうした自然環境は、キューバ革命という成功体験の余勢を駆って、1966年にボリビアにやってきたゲバラを大いに悩ませた。彼が指揮するゲリラ部隊が山中の川を超える最中、何人かが濁流に呑まれて亡くなったり、慢性的な飢えに苦しまされたりしたのだ。

 

軍の嘘と政治利用

 約6000人が住む、標高2000メートルの町、バジェ・グランデに到着したとき、すでに夕方になっていた。バスターミナルの壁にペイントされた町の地図にはベレー帽をかぶったゲバラのシルエットを模したマークが点在した。これらは町のゲバラ関連スポット。いまやこの町はゲバラを観光材料として使っているのだ。

 ゲバラゆかりの地を巡るには時間が遅い。翌朝からゲバラゆかりの地を回り始めることにして、まずは投宿した。

ゲバラの遺体がさらし者にされた場所はセニョール・デ・マルタ病院というところにある。ここにある洗濯台こそが、ゲバラの亡骸が一時的に安置された場所である。ここはどのようなところなのか。

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