【死後50年】チェ・ゲバラ、見せしめにされた死の真相 (3/4ページ)
一方、ゲバラの両手は首都のラ・パスに送られた。ゲバラの祖国アルゼンチン政府が身元を確認できるようにするためであった。遺体すべてを引き渡せば、処刑したことが明るみになる。かといってまったく渡さない訳にはいかなかった。そのための苦渋の策であったのだろう。
洗濯台の今 http://n-knuckles.com/media/2017/10/05/img/s_%E3%82%B2%E3%83%90%E3%83%A91%5B1%5D.jpgバジェ・グランデに到着した翌朝に話を戻そう。
セニョール・デ・マルタ病院を訪れると、そこは広い中庭のある、平屋造りの病院だった。訪れたとき、朝の診療時間。患者で渡り廊下は医者や患者らが忙しく歩いていた。病院の建物を通り過ぎて、中庭に出ると、ゲバラの顔が描かれている建物が眼に入った。そしてその奥には、鉄の柵で覆われている、意味ありげなあずまやが目の前に現れた。ガイドの男性は言う。
「50年前、この上にゲバラの遺体が置かれて公開されたんですよ」
ガイドを務めてくれた男性が鍵を開け、敷地の中に入ると、あずまやの屋根の下に、コンクリートの台だけがあるのが眼に入った。
私は息を呑んだ。
コンクリートの台といい、そのまわりの壁といい、落書きという落書きで埋め尽くされていた。
50年前、ゲバラはその遺体を意に沿わぬ形で公開された。そして、今は今でその場が落書きしつくされ、別の意味で見世物にされていたのだ。
呆然として、突っ立っていると、後にいた男がひやかすように私に声をかけた。
「おまえも記念に名前でも書けよ」
演歌歌手の鳥羽一郎に似た、粗暴そうなその男は、私がその日、雇っていたタクシーの運転手。無邪気な彼の行動に悪気はまるでなさそうであった。
無言の私に対し、運転手は続けた。
「ゲバラは私たちの英雄だよ。彼のお陰でたんまり儲けさせてもらってるからな」
彼は相変わらず無邪気な様子で、そう言った。そんな彼に私の戸惑いの色はまるで眼に入っていなかった。