卒業アルバムには「ラッパー兼DJとしてHIP HOP界に君臨する」って書いてた。 (3/8ページ)
スミスが放送作家になったきっかけとかは?

スミス:僕の実家が玩具問屋で、あと幼馴染の親が漫画家だったので、会社員になるっていう感覚が昔からなかったんですよ。幼い頃から自由な感じがいいなと思っていて、思春期には、フジテレビの深夜番組がすごく盛り上がっていた時代で、「こういうのやりたいな」ってぼんやり思っていたんですね。
KREVA:あの頃は、ちょっとバブルの追い風っていうか、尖った人が表現する時間だったよね。
スミス:そうなんですよ。大学四年生のときに、当時の彼女が求人情報誌・フロムエーの「放送作家募集」みたいなのを見つけてきてくれたんです。それで面接行ったら、本当に受かっちゃって。募集するのも何年かぶりっていう珍しい求人で、運だけでここまで来させてもらった感じですね(笑)ちなみに、そのときの彼女が今の、奥さんです。
KREVA:そういうのいらないから!(笑)
ラップでやっていくと決めて、ひたすら走っていた20代。
スミス:クレバさんの20代の頃は、どんな感じだったんですか。
KREVA:20代ではもうラップでいくって決めてたから、大学には通っていたけどどんどんそっちに重きをおくようになってきてた。当時は、俺はありとあらゆるイベントに行って、そこで名前を売っていくっていう草の根活動をしてたかな。あの頃は、ひとつの大きなイベントにみんなが集まってくるような、知ろうとすれば全部知れるってくらいの小さなシーンだったから、そういうところに行って名前を売っていけば、みんなに名前が伝わって行くっていう感じだった。
スミス:それは戦略としてやっていたんですか。
KREVA:戦略っていうか、それしかないと思ってたんだよね。
スミス:いつから「KREVA」を名乗っていたんですか?
KREVA:その時はもう「KREVA」だったよ。ラップでやっていくって決めたのが中学2年生の頃。