天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 大平正芳・志げ子夫人(下) (2/2ページ)
しかも、その財政問題の演説が滔々というワケではなく、『アー公定歩合が…、ウー7%なら…、アー』といった具合。アーの次にウーが出てくるのに時間がかかり、とてもハデな選挙戦とは無縁だった。結局、これでは票につながらんということで、できるだけ笑顔を振りまくことに作戦を変えることになった。あるバアサンが、『あの人の笑顔は可愛い』と言ったのがヒントになったんです。ためか終盤戦で婦人票が伸び、からくも当選圏に入った」
「2回目のときは、ピンチを見かねた後援会の幹部が、親分である池田蔵相に懇請、吉田茂総理を応援演説に引っ張り出すことに成功したんだが、これがウラ目に出て落選危機に陥った。観音寺の演説会場で、吉田総理がかたわらの大平を指して、『私の最も信頼するオオダイラ君であります』とやった。『あの吉田総理が名前を間違えるくらいだから、大平というのはたいしたことがない』とのウワサが広まってしまった。これには大平もさすがにショックだったらしく、『ワシはもしこの選挙で落ちたら政治家は辞める。勝負には向かんようだなぁ』と言っておったくらいだったんです」
その後の大平は、池田の引き立てもあり、官房長官、外務大臣、そして通産大臣、大蔵大臣、自民党幹事長と着実に実力者としての階段を昇り、やがて総理大臣、そして、総理在任中の選挙さなかに無念の殉職をしたということだった。この間、妻・志げ子は、夫とどう向かい合ったのか。大平と長い付き合いのあった古参の政治家記者の、次のような証言が残っている。
「例えば、大平の“戦死”に直結したと思われる自民党40日間抗争で大平が反大平勢力に揺さぶられる中、夫人は大平のためにと密かにツテをたどっては、こうした反大平勢力の議員に電話で大平の心情を伝えてもいた。そんなことを知った大平は、こう一喝したことがある。『政治のことは黙っとれッ』と。大平とは、そんな男だった」
大平の墓は郷里・香川県豊浜町の小高い丘の上にある。正面を生家に向け、背にはのどかな瀬戸内海が窺える。夫妻の長女・森田芳子の、こんな話もある。
「私は母の素顔を、一度として見たことがなかった。どんなに早く起きても、母は身ずまいを正し、必ずお化粧をすませていました。“政治家・大平正芳の妻”の自覚だったのでしょう」
寝ぼけまなこでダンナを会社へ送り出すようなカミサンでは、とてもダンナが会社でエラくなることはないということのようである。=敬称略=
(次号は、鈴木善幸・さち夫人)
小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。