天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 海部俊樹・幸世夫人(上) (2/2ページ)

週刊実話


 「夫人は、後年は幸世という名前から中国共産党主席だった毛沢東の“猛妻”江青(こうせい)になぞらえて、『コウセイ夫人』と呼ばれるほどのバリバリ型の代議士夫人となった。しかし、海部がまだ陣笠の頃はその後ろで支える、機転の利く女性だった。
 当選5回目あたりでは、愛知県の選挙区内に10人、20人といった小さな女性だけのグループを次々と立ち上げ、最終的にこうしたグループは数百に及んで、のちに1万人をゆうに越す海部後援会婦人部“はなみつきの会”の原型をつくることになった。女性が本気で動く選挙は強い。愛知県における長らくの“海部王国”は、『コウセイ夫人』の才覚によるものだったと言ってよかった」

 その海部が首相のイスに座れたのは、前任首相の宇野宗佑が芸者との「3本指」スキャンダルなどで退陣を余儀なくされたのがキッカケだった。派閥はすでに三木から河本敏夫(元通産相)にバトンタッチされていたが、小派閥であることは変わらず、それまで閣僚経験も文部大臣2回だけで外交経験なく、経済、財政も門外漢となれば、首相への目などはなかったが、時に自民党を牛耳っていた最大派閥・竹下派の“意向”によるものだったということであった。
 時に、リクルート事件の責任を取って退陣をした竹下派会長の竹下登は、影響力温存のため「キングメーカー」ぶりを発揮していた。ために、気脈のある派閥領袖でもなかった中曽根(康弘)派幹部の宇野宗佑を自らの後継に据え、宇野の失脚後はまたまた小派閥の河本派幹部の海部を担ぎ出したということだった。
 本来なら竹下の「盟友」であった安倍晋太郎(安倍晋三首相の父)の登場するところだったが、安倍もまたリクルート事件を引きずり、体調を崩していたことで断念したものだった。一方で、宇野で傷ついた自民党のイメージを払拭するには、「クリーン」イメージの海部で挽回という考えもあったようだった。もとより、海部が「竹下カイライ政権」であることは、自民党内の圧倒的見方であることは言うまでもなかった。

 首相に就任した海部は「政治改革」の声を高め、内閣支持率も高く、まずは順風満帆に見えたが、舞台はアッという間に暗転した。竹下派の「剛腕」、時に自民党幹事長でもあった小沢一郎に政権運営の大なる不満を買ったからであった。
 その後、不満のつのった小沢は、自民党を離脱、非自民勢力を統合、新進党の結成に動くのだが、その党首に「バリバリ型代議士夫人」として定着していた海部の妻・幸世が模索されたのだった。
=敬称略=
(この項つづく)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。
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