新たな道、走る。LO秋田太朗(宗像サニックス)、大型ダンプに乗る。 (1/3ページ)

ラグビーリパブリック

愛称ジャンボ。100キロあった体重は93キロになった。

 長い間おつかれさん。

 シーズン終了後の個人面談。部屋に入ると、監督にそう言われた。

「ありがとうございました。自然に、そんな言葉が出ました」

 宗像サニックスブルースのLOとして活躍してきた秋田太朗が2017-2018年シーズンを最後にブーツを脱いだ。

 プロ契約を結んでいた。

 すでに新しい生活が始まっている。

 38歳までプレーした。ここ数年は毎シーズン、「1年1年が勝負」の気持ちが強まっていた。

「同じポジションの後輩、若手たちも力を伸ばしてきていました。そろそろかな、と思っていたので、自然と感謝の言葉が出たのだと思います」

 ラストシーズンも、最後の最後まで試合に出るつもりで最善の準備を尽くした自負がある。だからこそ構想から外れたと聞いたとき、潔く身を引く決意ができた。

 面談からの帰りの道すがら、秋田は自動車教習所へ電話をかけた。10トントラックの運転が可能になる、大型自動車免許を取得するためだ。

 中学2年生の長女を筆頭に、4人の子どもたちを育てる父親だ。家族を養っていかなければならない。

「だから引退が決まって、感傷に浸ったり、少しの間ゆっくり…という思いはありませんでした。次に進まないといけない。すぐにやれることを、と」

 運送業に就く知人の話を聞いていたから決断は早かった。

 即行動。やがて免許を取得し、助手席に経験者に座ってもらっての見習い期間も始まった。

「3月中には、購入したトラックも届きます。2年ぐらいは地獄を見ることになるでしょうね(笑)。軌道にのったら台数を増やしていきたい」

 将来の青写真を、そう描く。

 福岡・香椎工業高校でラグビーを始めた。県大会の前。地区大会でいつも負けていた。

 福岡工業大学に進学した。2年上に冨岡鉄平(元東芝ブレイブルーパス)がいた。大学3年時は全国大学選手権に出場。

 卒業後はホンダへ。社員として鈴鹿に6年住んだ。

 宗像サニックスに加わったのは2008年からだ。印刷会社を営む父が体調を崩した。

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