雨宮処凛の『90年代サブカルと「#MeToo」の間の深い溝。の巻』を読んで:ロマン優光連載110 (4/5ページ)

ブッチNEWS


 かつての根本・村崎的方法論はカウンターとしての有効性を失い、その一方で社会はより露骨に「普通」でないものに悪意をぶつけるようになっていっています。鬼畜系がブームになった時に見受けられた悪い側面そのままに。鬼畜系といわれたブームは時代のあだ花ですし、現在では成立しないものでしょう。鬼畜系そのものというより、それを表層的に真似た人たちによる間接的な悪影響が残るだけです。ただ、そのブームの中にそれだけではない何かがあったことは私は忘れたくはないと思います。そして、現在の根本敬氏を、かつての奥崎謙三氏のように誰かが記録しなければならないのではないかと。
 最後に。『テレクラキャノンボール』の話をしてドン引きされるのは、サブカルスイッチとかそういうことじゃなくて、社会性の問題ですよね。90年代だって、鬼畜系べったりの嗜好の人でも、そういう業界で働いてる人でなければ、趣味の話をそれを共有してない人にしないわけで。人権意識がアップデートされない古い感覚で話してしまう例としては変な違和感があるのでした。

(隔週金曜連載)

【編集部注】一部時代性を交えた表現につきましては、当時の「鬼畜系・悪趣味」ブームの説明のみを目的としたものです。ご了承ください。

話題の記事はこちら:「雨宮処凛がゆく! 第447回:90年代サブカルと「#MeToo」の間の深い溝。

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