天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 小渕恵三・千鶴子夫人(上) (2/2ページ)
英文科に入ったのも、シェークスピアの研究をし、将来は文学を志そうとしていたのである。
しかし、人生はままならないのが常。早稲田に入学した3カ月後、ようやく2回目の当選を果たした父親が急逝してしまった。小渕の言葉がある。
「親父の2回目の挑戦はさすがに家族の皆が反対、しかし自分一人だけが『最後の挑戦としてやってみるべき』と賛成した。それがあって、父親の無念を晴らすのは自分しかいないと考えた。そこで、政治家になろうと決断したんだ」
ために、英文科を卒業すると政治学研究科の早大大学院に入っている。また、その間の父親の急逝後すぐ、早大雄弁会のサークルにも入って「政治家への道」の覚悟を固めていたものであった。私事になるが、じつは筆者も早大雄弁会に所属していたことがあり、次のような“小渕先輩”のエピソードを耳にしていた。国会議員を次々に送り出していた当時の雄弁会は、さながら“政治家養成サークル”のオモムキがあったのである。
「雄弁会の会費を握るのが、幹事長のポスト。このポストを握れば、会費で仲間に飲み食いをさせ、信頼を得ることにつながった。やがて政治家への道に踏み出したとき、この仲間が選挙の手助けをしてくれるからだ。森喜朗(のちに首相)、渡部恒三(のちに衆院副議長)らは、こうした中で自民党もどきの幹事長争いにうつつをぬかしていた。しかし、小渕はそうしたポスト争いには関心がなかった。口の重いほうだった小渕は、弁論術そのもののマスターに熱心だった。驚くべきことは、雄弁会の一方で、演説は腹の底から声を出さねばと詩吟の会のサークルに入ったり、書道部のサークルにも入っていた。書道部に入ったのは、政治家になれば色紙を頼まれることも多いということで、なんとも早い“準備”に余念がなかったことによる」
芯の強さは並々ならぬものをうかがわせるが、その“総仕上げ”が大学院在学中の世界一周の武者修行、いや放浪の旅であった。当時、作家・小田実の『何でも見てやろう』の世界放浪の本がベストセラーであり、時に1ドル=360円の時代、加えて外貨持ち出し額も制限されており、行く先々でアルバイトという文字通りの放浪の旅を敢行したのである。
その旅先から、小渕はせっせと千鶴子にラブレターを送り続けた。放浪生活9カ月の中で、なんと300通も送っている。計算すれば、じつに1日に1通以上を出していたのであった。
=敬称略=
(この項つづく)
小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。