天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 小渕恵三・千鶴子夫人(上) (1/2ページ)
来年5月には新天皇のもとで平成から元号が変わるが、昭和が終わる際の小渕恵三が竹下登内閣の官房長官時に新元号を平成と発表した姿は、現在20歳前後の人なら大方が記憶にとどめている。時に、小渕には「平成長官」の名があった。
その後、竹下派が小沢一郎(現・自由党代表)らの離脱のあと小渕が派閥を継承、小渕派領袖として首相の座に就くことになったが、そこでは「凡人」「冷めたピザ」「真空総理」などあまり有難くない“異名”も頂戴したものだった。「ボトム・アップ」方式とされたリーダーシップで、まず周囲からの意見を積み重ねたうえで政策を前に進めるというキレ味の乏しさから付いた“異名”だったのだ。
さて、その小渕の妻・千鶴子は、前任首相の橋本龍太郎の妻・久美子と双璧、「理想的な政治家夫人」と呼ばれていた。長く小渕の秘書を務めた一人は、その“横顔”を次のように話してくれたものであった。
「政治家の妻としての必須条件であるタフさ、辛抱強さはもちろんだが、生来のおおらかさで周りを惹きつけていた。慈母観音のようなふくよかな顔立ちもあいまって、夫人がいると不思議にその場の空気が和らいでしまう。多少ギスギスした場でも、物事が円満な方向に向かってしまうという独特のムードがあった。加えて、万事が控え目で、小渕が外務大臣時代には揃って公の席に出ることが多かったが、夫人は必ず一歩下がったところにいて、万事に目立たないことを心掛けていたようだった。首相のときも同様で、メディアの前に出ることは避けていたものです」
2人の出会いは、代議士だった小渕の父・小渕光平の選挙区だった旧〈群馬3区〉の同じ吾妻郡中之条町に共に住み、“幼なじみ”であったことに始まる。小渕光平は尋常高等小学校卒業後、叩き上げで製紙や電気関係の会社を起こして成功、周囲に推されて代議士への道を歩むことになった。しかし、選挙は滅法弱く、初当選以後3回連続落選、その後ようやく2回目の当選を果たしたといった塩梅だった。その小渕家の近所の製材所の娘が、千鶴子ということであった。正式に2人が交際をスタートさせたのは、小渕が早稲田大学第一文学部英文科に入ってからである。
当時の小渕は、落選を繰り返して物心両面で疲弊する父親の姿を見、政治家として跡を継ぐ気はまったくなかった。