サブカル蛇おじさんの新刊「AKB48とニッポンのロック」よんでみた:ロマン優光連載111 (2/9ページ)

ブッチNEWS


 41pにおいて、日本のニューウェーブ文化と秋元康が近いところにあったという主張の根拠に、秋元作詞の『雨の西麻布』といとうせいこう作詞の『夜霧のハウスマヌカン』に同時代性や共通性があるという高木完氏(タイニーパンクス等)の発言を引用しているのだが、これはあまりに強引ではないだろうか。さらに秋元氏たちの溜まり場と、いとう氏たちの溜まり場が同じビルの別のフロアにあったということも根拠として語られているのだが、なぜ同じビルの別のフロアにいれば、文化的に近いところがあるのか理解に苦しむ。
 東京のニューウェーブ~初期のHIPHOPシーンに関わる面子の中のテレビ業界に近い人たちと、業界人である秋元康の生活エリアが被っていたということや同時代性があったということは、両方とも同時代の業界の人だったということを表しているに過ぎない。論拠が雑である。
 ことあるごとに著者は秋元康を80年代サブカルチャー、日本のニューウェーブやフォークに結びつけようとするのだが、その根拠は曖昧である。自分の好きなものとの関連性をかってに見いだして強引に結びつけようとしているように見える。秋元康は流行り物が好きなだけであって、たまたまそれが著者の趣味に合致する瞬間があるだけだというのが個人的な見解である。
 強引な結びつけの例としては、AKB48のお披露目に一般客が7人しかこなかったことを秋元康が誇らしげに語ったエピソードが、セックスピストルズがマンチェスターで初ライブにいた42人の客の中からジョイ・ディヴィジョンやバズコックス等の歴史に名を残すバンドが産まれたという有名なエピソードを思わすという47pの記述がある。まず、客に関するエピソード同士を結びつけるのではなく、秋元康がそれについて語ったというエピソードを結びつけるのが文章として破綻しているのは置いておこう。7人しかいなかった客の中から後に有名なアイドル運営になった人間や音楽プロデューサーが大量に産まれたという話なら、ピストルズのマンチェスター初公演を思わすのはわかるが、別にそういうわけではない。これら両者を結びつけるのは論理的な整合性に全く欠けており、牽強付会もはなはだしい。こういうたぐいの記述が多くていちいち上げているとキリがないので、最初の50pの中で特に気になったものだけに止めておく。
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