奈良県勢初の「夏の甲子園優勝」天理の“傷だらけの死闘”! (1/2ページ)

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奈良県勢初の「夏の甲子園優勝」天理の“傷だらけの死闘”!

 今大会6日目第3試合に登場する奈良大付。県大会決勝戦で強豪相手に10‐9の劇的なサヨナラ勝ちを収めて、念願の夏の甲子園初出場を決めた。そしてこの時対戦した天理は、奈良県勢唯一の夏の甲子園優勝校でもあるのだ。

 最初の優勝は1986年第68回大会。エース・本橋雅央は県予選の始まる前から右ヒジの痛みと戦っていた。県大会準決勝の頃にはすでにその痛みには耐えられなかったという。それでもマウンドを守りチームを勝利に導いた。甲子園でも初戦から新湊(富山)に8‐4、米子東(鳥取)に7‐2と勝利し、ベスト8へと進出。ただ、その間も本橋の右ヒジの状態は刻一刻と悪化し、準々決勝の佐伯鶴城(大分)戦では4‐2で勝ったものの、2年生投手・緑川博之にマウンドを譲り登板を回避している。

 準決勝の鹿児島商戦は先発したものの、7‐1とリードしていた5回途中で相手打線の反撃に遭い、KOされてしまった。もはやスピードもなければ、変化球の切れもなかったのである。それでも、ここまで3試合連続二ケタ安打中の強力打線がこの試合も、16安打と投手陣を援護して、8‐6で振り切ったのだった。ケガの功名ではないが、この本橋の故障により、天理ナインには団結が生まれていたのである。

 奈良県勢として春夏通じて初めての決勝戦。その相手は天理同様に強力打線が自慢の古豪・松山商(愛媛)だった。その強打が1回裏から本橋に襲いかかり、早くも1点を失ってしまう。だが、勝利の女神は激痛に耐えてマウンドを守るエースを見捨てなかった。4回表に相手の連続暴投などで逆転すると、5回裏のピンチでは相手のスクイズを失敗させて窮地を脱した。直後の6回表には松山商の守備陣の乱れで3点目。その裏に1点を返されたものの、天理守備陣は丁寧に打たせて取る本橋のピッチングに堅守で応えた。3‐2で迎えた9回裏に一打同点のピンチを招いたが、この場面でも狙い通りの三塁ゴロ。天理自慢の打線は8安打と少なかったが、最後は全員で守り勝ったのである。

 こうして傷だらけのエースによって奈良県勢初の甲子園優勝が成し遂げられたその4年後。90年第72回選手権で天理は夏2度目の全国制覇を果たす。

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