品川区の鮫洲という地名の由来や鮫洲明神の建立理由に深い関係がある観音様 (1/4ページ)

心に残る家族葬

品川区の鮫洲という地名の由来や鮫洲明神の建立理由に深い関係がある観音様

6月22日午前11時半ごろ、静岡県浜松市西区舞阪町、浜名湖今切口東側の遠州灘沖合50〜100m付近で、体長約2mのサメが目撃された。
日本近海に生息するサメは100種類を超えるというが、普段我々は頻繁にサメに出くわしているわけではない。そのため、サメが近海に現れたというと、スティーヴン・スピルバーグ監督の映画『ジョーズ』(1975年)のような人喰いザメの出現か、はたまた、いつ起きてもおかしくないと言われている、巨大地震の前触れではないか…など、人を恐怖のどん底に陥れる存在のように捉えがちである。しかし、全てのサメが「恐怖の存在」というわけではない。

■東京の品川に伝わるサメの伝説とは

四方を海に囲まれた日本では、主に沿岸地域に、サメにまつわる伝承・伝説が多く存在する。例えば鎌倉時代(1185頃〜1333)に在地領主だった大井氏・品河氏による開発によって、港と水運が発達し始めていた東京の品川には、以下のような話が伝わっている。

鎌倉時代中期、北条時頼(1227〜1263)が執権をしていたころ(1246〜1256)のことだった。品川沖で漁をしていた船が大ザメに狙われ、体当たりされていた。このままでは船がひっくり返り、漁師全員が犠牲になってしまう。そこで漁師たちは、誰かひとりが海に飛び込み、サメの犠牲となる。その間に逃げてしまおうと決めた。犠牲者を誰にするか。頭に巻いている鉢巻を海に投げ、最初に沈んだ者にすることになった。船主の息子の鉢巻が一番早く沈んでしまった。息子は意を決し、腹帯一つになった。そして仲間に手を合わせて別れの挨拶をした後、海に向かって観音経を高らかに唱え、サメのいる海に飛び込んだ。残った漁師たちは急いで櫓を漕いで、岸辺に向かった。

■船の名前に「観音丸」が多い理由

しばらくすると船主の息子が、海面に浮かんできた。漁師たちは慌てて息子を船に引き上げた。大ザメはどこかに行ってしまっていた。我に返った息子が、腹に手を当ててみたところ、観音像がない。船主一家は代々観音様の熱心な信者だったことから、船の名前は「観音丸」と名づけられていた。そして息子が漁に出るときは、肌身離さず観音像を身につけていたのだ。その観音像がいつの間にか、なくなっていたのだ。

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