石原裕次郎、高倉健、ビートたけし…「昭和のアウトロー」豪快伝説 (2/5ページ)

日刊大衆

「昭和30年代後半、サラリーマンの平均月給は1万円程度でしたが、勝新は映画1本で500万円を稼いでいました」(同)

 そのうえで、いくら金があっても足りないような遊び方をしていた。著書『生き残る芸能人のすごい処世術』で数々の大物芸能人の豪快な素顔を綴った、芸能レポーターの城下尊之氏は、こう語る。「勝は飲んでいると周囲の人にも振る舞ってしまい、100人も引き連れて銀座のクラブをハシゴしたというのは有名な話。大変なツケを残したまま亡くなりましたが、ほとんどの店のママたちは“もういいわよ”と、そのツケを回収することはありませんでした。勝が飲みに来ると、ママは店に来ている大企業の社長らに勝を紹介する。勝は、持ち前のサービス精神と繊細な気遣いで、その社長らを大いに楽しませてしまう。“勝新と飲んだよ”“飲み友達になった”と大喜びで社長らは帰り、その店の太い客となります。店の評判も大いに上がるため、ツケを補って余りある恩恵を、勝は多くのクラブに与えていたんです」

 また、飲み方のキレイさにも定評があった。「一度、銀座に飲みに連れて行ってもらったことがあるんです。勝さんは、自ら焼酎の水割りを作って周囲に配っていました。真っ赤になってしまった僕に勝さんは、“自分のペースで飲めばいいからね”と優しく声をかけ、場が下品な話になりそうになると、パッと自分が話題を引き取り、楽しい話に変えるという気の遣い方でした」(前同)

■菅原文太は酒癖がよくなかった

 豪快スターの宝庫といえるのが東映だ。「黄金期の時代劇を作っていた京都撮影所では、スターが祇園で豪遊したり、大盤振る舞いをするのが常。典型的な例が中村錦之助(のちの萬屋錦之介)でしょう」(スポーツ紙記者)

 錦之助は自らの豪邸にスタッフや出演者を招き、連日、大宴会を開いていた。その影響を多大に受けたのが松方弘樹で、彼の辞書に「割り勘」という言葉はなかった。「主演映画やドラマの撮影がクランクアップすると、100人前後のスタッフ、キャストと高級焼肉店を貸し切って打ち上げ。

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