石原裕次郎、高倉健、ビートたけし…「昭和のアウトロー」豪快伝説 (4/5ページ)

日刊大衆

関西喜劇界の大物・藤山寛美は、常に数百万円の現金を持ち歩き、それを使い切ることを好んだ。

「タクシーの初乗りが100円の時代に、短い距離でも、ドライバーに1万円札を渡して釣りを受け取らなかった。どうやら“寛美はすごい”と噂話が広がることを計算してのものだったようですが(笑)」(関西の演芸関係者)

 のちにこれを受け継いだのが、やしきたかじんだ。「高級クラブをハシゴするのが好きで、入った店で1杯飲んだら、すぐに次の店に。そこでもまた同じことをやる。店から店への移動は、どんなに近くてもタクシーに乗り、ドライバーには、“釣りは取っといてや”と1万円札を渡していたといいます」(前同)

 また、トミーズ雅の証言によると、たかじんは“ぼったくりバー”で、ビール2本で5万円を請求されると、「ぼったくりバーなら10万円は請求せんかい!」と、1万円札を10枚叩きつけたというのだ。

 関西勢でいえば、横山やすしも強烈な人物として知られる。「東京で怖いお兄さんに絡まれたときに“お前らがエラそうにできるのは、この周辺だけやろ? ワイは全国ネットや”と、やり返したという話を聞いたことがあります」(関西のテレビ関係者)

 こんなエピソードも。「飲食中に時計を気にする関係者の腕時計を取り上げて、煮えたぎる鍋の中に放り込んだとか」

 かたや、東の芸人で型破りなのが立川談志だ。「若い頃から自由奔放で、師匠の柳家小さん(先代)から80回も破門になっています。口論から取っ組み合いのケンカになることもあり、落語会の超大物である小さんにヘッドロックをかけていたという話は有名です。ただ、小さんも、そんな談志をかわいがっており、その都度、破門はなかったことになっていました」(放送作家)

 談志が落語協会を離れ、「立川流」を立ち上げたあとは破門のままだったが、以後も交流はあった。

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