清原和博、隠された真実「薬物」「桑田真澄」「元彼女の練炭自殺」 (4/5ページ)

日刊大衆

4月に出演したラジオ番組では、清原の近況としてリハビリを頑張っていると明かし、「みんなで助け合って、彼を野球に戻したい」と支援を約束していた。かつてのスーパースターが闇を乗り越え、復帰する日を心待ちにしたい。

■清原和博「人生年表」

●1967年【誕生】8月18日、大阪府岸和田市で電器店を営む両親のもとに生まれる。小学3年生のときに、岸和田リトルに入団。野球を始める。シニア時代には全国大会にも出場。

●1983年【PL学園入学】1年生4番打者として、夏の甲子園で優勝。桑田真澄とともに「KKコンビ」として人気を博す。この後、卒業まで春、夏合計5回の甲子園大会に出場。優勝2回、準優勝2回。

●1985年【涙のドラフト会議】清原は6球団から1位指名。抽選のすえ、交渉権は西武ライオンズに。1位指名を示唆していた巨人は、早稲田大進学を表明していた桑田を1位指名。清原は会見で涙を流す。

●1986年【西武ライオンズに入団】開幕2戦目で公式戦デビュー。シーズン終盤には、プロ入り1年目ながら4番打者に。打率.304、打点78、本塁打31本の堂々たる成績で、この年のパ・リーグ新人王を獲得。

●1987年【“因縁”巨人との日本シリーズ】王貞治監督率いる巨人と対戦。日本一のかかった第6戦。西武リードで迎えた9回表、一塁を守る清原は感極まって号泣。試合後、ドラフトのことを思い出したと語った。

●1996年【巨人に移籍】この年、FA権を行使。長嶋茂雄監督のラブコールのもと、巨人に移籍する。5年契約で背番号は「5」。翌年は開幕から4番一塁で出場。巨人「第64代」4番打者となる。

●2005年【オリックスに移籍】巨人から戦力外通告を受け、オリックスに移籍。

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