内臓を掴み敵に投げつける壮烈な最期…村上彦四郎義光が戦場で魅せた「切腹の手本」 (4/5ページ)
そうした忠臣たちの献身的な活躍に応え、護良親王は見事に捲土重来(リベンジ)を果たし、鎌倉幕府を滅ぼす上で重要な役割を演じました。
義光たちも草葉の陰から喜んでいたでしょうが、その後、同じく鎌倉幕府を滅ぼした功労者の一人である足利高氏(後の尊氏)らと対立し、また、手柄を鼻にかけた横暴などにより、やがて身を滅ぼしてしまうのでした。
村上社の「撫で身代わり様」として
村上社の「撫で身代わり様」。多くの参拝者に撫でられまくって、あちこち黒ずんでいる。
護良親王が殺される直前まで幽閉されていた土牢は今も鎌倉宮の境内奥に残っており、護良親王の御霊をお祀りしている鎌倉宮には、かつて命と引き換えに護良親王を守り抜いた義光を祀る「村上社」が鎮座しています。
冒頭の木像はまさに村上彦四郎義光その人で、「撫で身代わり様」として平成十六2004年12月に奉納されたものです。
「撫で身代わり様」とは、自分の悪いところ(例:足が痛い、腕を怪我した等)に相当する部位をなでると「身代わり」になって(治して)下さるもので、これまで多くの参拝者に撫でられ続けています。