御巣鷹山が大規模事故で亡くなった方々の鎮魂の場として聖地化している理由 (1/2ページ)

心に残る家族葬

御巣鷹山が大規模事故で亡くなった方々の鎮魂の場として聖地化している理由

1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故から33年を迎えた。乗員乗客合わせて524名中、520名が死亡した、未だ単独機では史上最悪の航空機事故である。今年も現場となった御巣鷹山(群馬県多野郡上野村)の墜落現場には遺族を初め様々な人達が慰霊登山に訪れた。日本の習俗に照らすなら前年の2017年で三十三回忌を迎えている。通常であればその人なりの区切り、心の整理がつく頃である。しかしこの事故を風化させまいとする遺族たちの努力と熱意が、いつしかこの事故の関係者に留まらない広がりを見せている。

■鎮魂の場として聖地化する御巣鷹山

近年、この事故の慰霊登山には、JR福知山線事故(2007年 107名死亡)、軽井沢スキーバス事故(2016年 15人死亡)の遺族会や、東日本大震災(2011年 15,895人死亡 2018年3月9日現在、警察庁発表)の遺族など、この事故以外の事故、災害によって家族を失い遺された人たちが訪れるようになり、年々その数は増えているという。

筆者がテレビのニュースで確認した限りでは、灯籠流しの灯篭には様々な事故・災害の犠牲者へのメッセージが書かれていた。そこは日航機墜落事故という枠を超えた鎮魂の場となっていたのだ。

なぜ彼らは御巣鷹山を訪れるのだろう。単体の航空機事故としては最も多くの犠牲者を出した悲劇というだけではないように思える。比較するのは甚だ不謹慎ではあるが、類似した航空機事故に1971年の全日空機雫石衝突事故がある。乗員乗客162人全員が死亡した日航事故の前までは日本国内の航空機事故としては最悪の事故だった。現場は「慰霊の森」として整備されており、三十三回忌に当たる2003年まで毎年慰霊祭が営まれていた。一応の区切りはついたわけである。この事故との違いはなんだろうか。

■生の痕跡が遺されていたことが聖地化した理由?

この日航機事故には密室での出来事を証言できる生存者の存在、コックピットボイスレコーダー (CVR)に音声が残されていること、そして犠牲者の方々が書き残された「遺書」が存在することなど、「生の痕跡」が遺されていることがあるのではないか。これらによって我々は乗員乗客が最後まで「死」と闘った姿を垣間見ることができる。

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