亡くして初めて気づくその人の存在価値 西郷隆盛の死後の動静 (1/7ページ)

心に残る家族葬

亡くして初めて気づくその人の存在価値 西郷隆盛の死後の動静

日本という国が大きな変貌を遂げるきっかけとなった明治時代から数えて、今年はちょうど150年になる。150年前、徳川将軍家を頂点とする堅牢な江戸幕府倒幕に尽力した志士のひとりに、今年のNHK大河ドラマの主人公である西郷隆盛(1827〜1877)がいる。
日本人にとっての「西郷隆盛」のイメージ、そして彼への思いは人それぞれ、千差万別であるのは言うまでもない。

■西郷隆盛の人物評

例えば作家の塩野七生は、「男にはその生涯にどれほどの仕事をしたかによって存在理由を獲得する型の人物」と「彼が存在すること自体に意味があり、それがその男の存在理由の際たるものになっている型の人物」とがいるとして、前者の場合、西郷同様、旧薩摩藩出身で、明治維新の立役者であった大久保利通(1830〜1878)、そして坂本龍馬(1836〜1867)などを挙げていた。そして西郷は、幕末期の長州との薩長盟約(1865年)やその3年後の土佐との薩土盟約、王政復古の大号令、鳥羽・伏見の戦い、江戸城無血開城などにおいては、大久保や坂本同様の「業績」を列挙できるが、「西郷」を語る際、それだけでは不十分である。塩野は坂本が西郷を評した言葉、「大きく打てば大きく響き、小さく打てば小さく響く」から、「胸中に燃えたぎる情熱なり野望なりに忠実に動く男であったら、このような評は生れ(原文ママ)得なかったのではないか…(略)…大きく打たれようと小さく打たれようと響きは同じであるはずなのだ」と、坂本との違いを述べた上で、西郷が後者の型に当てはまることを指摘していた。

また、政治学者の小川原正道は、明治時代以降の日本人にとっての「西郷隆盛」とは、西郷自身が後に政府の中枢に入ってから、日本の国がこれからどんな方向に向かっていくのか、そして今、どんな政策が求められているのかを多く語らなかった。そして後に自ら命を落とすことになった西南戦争(1877年)においても、この反乱が何のためのものなのかも、西郷と共に戦うべく馳せ参じた人々に対して、ほとんど語らなかったことを挙げ、「神秘的な魅力を湛えた巨大な沈黙」と評している。

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