山根明「村田諒太、日本ボクシング連盟新会長の内田貞信氏…すべて話します」 (5/6ページ)

日刊大衆

本当はプロレスのほうが好きで、力道山の大ファンだったもんだから、思わずゴングが鳴る前に“大ファンです! 握手してください!”と声をかけちゃいましたよ。さすがに驚かれて“分かったから、試合頑張れ”と声をかけてもらって(笑)。そのときに撮ってもらった写真は、大事に残してあります」

 当時、山根氏の父親が大阪・堺にあるボクシングジムの経営に携わっていたこともあり、そのジムで練習をしていたという。“息子をボクサーにする”という父の夢を叶えようと努力を重ねたが、デビュー戦が事実上の引退試合となった。

「試合当日、私は高熱があって、フラフラな状態でした。それでも父は棄権させてくれなかったので、無理やりリングに上がったんですよ。でも、やはり試合ができる状態ではなかった。めまいがしてきて、結局、3ラウンドの終わりで棄権しました。病院に行ったところ、肺結核だったんです。当時、肺結核で死ぬ人が大勢いた中、不幸中の幸いにも、私は1年半入院して生き延びることができました」

■東京オリンピックまで2年を切ったが…

 その後は、父親の仕事を手伝いながら、選手たちをサポートする立場でアマチュアボクシングに携わってきた山根氏。ときには家族をも犠牲にしてきた。

「今の妻は、4人目の妻です。2番目の妻と結婚していた頃は、新大阪の近くで、2人で喫茶店をやりながらボクシングの活動に携わっていました。ただ、その活動費を、その喫茶店の売り上げから補てんしていたもんだから、1回に数十万円の金を持っていく。耐えられなくなった妻から“ボクシングか私か選んで……”と言われて、私はボクシングを選びました。妻はある日、私が海外遠征から戻ると忽然と消えていたんです。

 12年後に、やっと京都で発見しました。どうも妻は(前述の)森田氏に夫婦仲を相談していたみたいで、“それなら離婚せえ”と、夜逃げする手はずを、森田氏に整えてもらったらしい。そのうえ、妻は詐欺事件に利用されてしまった。それが分かって、彼とは一線を置いたんです。

 3番目の妻とは、籍は入っていませんでしたが、妻が母親の介護のために鳥取に帰ることになって、そのときも同じ選択肢を迫られました。

「山根明「村田諒太、日本ボクシング連盟新会長の内田貞信氏…すべて話します」」のページです。デイリーニュースオンラインは、力道山村田諒太喧嘩ボクシングオリンピックスポーツなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る