田中角栄「名勝負物語」 第二番 福田赳夫(3) (1/3ページ)

週刊実話

「福田は平手造酒、インテリ浪人だ。欠点は取り巻きの話を聞きすぎること。太刀筋は鋭いが、立ち上がりが遅いことだ」

 すでに、こう政治家福田赳夫の本質、政治手法を看破していた田中角栄の「角福総裁選」に対する立ち上がりは早かった。対して、福田は持ち前の恬淡とした性格の一方で、佐藤栄作首相の後継意向が自分にあるとして安閑と構えていたフシがあった。同時に、佐藤派幹部の「策士」とされた“福田乗り”の保利茂、松野頼三、園田直も戦略に手間取っていたのだった。

 一方の田中は、さかのぼることの昭和41年(1966年)にして、池田勇人内閣ですでに大蔵大臣を歴任し、ぼんやりとではあるが天下取りが視野に入った段階で、大ブームを巻き起こした、後の「日本列島改造論」の原型となる「都市政策大綱」の取りまとめに入っていた。この年、すでに政権は佐藤栄作に移っていたが、田中は自民党に起こった「黒い霧事件」の責任を取る形で幹事長を辞任、突出する者を抑え込むという「人事の佐藤」の差配により、閑職と言っていい党の都市政策調査会長のポストをよぎなくされ、これをチャンスと受け止めての取りまとめへの没頭だった。

 この「都市政策大綱」取りまとめの過程では、改めて田中という人物の凄さが垣い間見られた。例えば、会社勤めの人間が人事で閑職に回された際、クサって無為な時間をすごす向きも少なくないが、田中は逆であった。すなわち、余裕のある時間を自らの今後の栄養にと、天下を取ったときのための政策づくりに腐心したということだった。

 その執念は凄まじかった。目をつけたのは、折りから高度経済成長の過程で潜在化していた日本列島の太平洋側と日本海側、都市と地方の過密・過疎、経済格差の是正に視点を置いた新たなこの国の設計図づくりということだった。都市政策調査会長ポストでの1年2カ月における田中の意気込みについて、当時の政治部記者の証言が残っている。

「田中ほどの有能な人物を遊ばせておくのはもったいないと、田中と親しい議員が持ちかけたのがこの新しい政策づくりだった。田中も若くして戦後復興のために、道路、鉄道、住宅関連など33本という異例の議員立法をつくったほどの男、この国の新たな課題へ向けて渡りに舟で乗った。

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