田中角栄「名勝負物語」 第二番 福田赳夫(3) (2/3ページ)

週刊実話

やるときは何事も全力投球、率先乗範の人物だけに、意気込みは凄まじかった。

 資金量はもとより豊かなことから私費1000万円を投じ、すでに大蔵大臣、幹事長も経験した若き実力者として人脈も豊富で、まず有能で新たな国づくりに燃える国会議員、官僚、地方自治体の首長を選りすぐってテーマごとに分科会をつくった。集まった衆参の議員は100人近くに達していた。彼らが集めた資料は、じつに2トン・トラック1台分に達した。各分科会は深夜、深更に至っても徹底議論、田中も時にこうした分科会に顔を見せ、『責任は全部オレが持つ。思い切ってやってくれ』などと顔を紅潮させて檄を飛ばしていた。このセリフは、かつて学歴なしで大蔵大臣として大蔵省に乗り込み、エリート幹部を前に発した第一声挨拶、決意をにじませたそれにそっくりだった」

 結果、昭和43年(1968年)5月22日に、およそ6万字に及ぶ「都市政策大綱」としてまとめられ、5月27日には自民党総務会の了承も得たのだった。

★戦闘開始の佐藤引退表明
 一方、この「大綱」は自民党はもとより革新陣営からの拍手もあったが、普段から田中をあまりホメることのなかった、言うなら“天敵”でもあった朝日新聞さえ、珍しく「自民党の都市政策に期待する」と題した次のような社説を揚げたのも印象的だった。

「産業構造の変化と都市化の急激な流れは、都市地域の過密と地方の過疎による幾多の弊害をもたらし、国民に不安と混乱を与えている。ところが、わが国ではこれまで政府も与党も、総合的、体系的政策に欠け、その政策は個々バラバラの対症療法として、ほころびを繕うものばかりであった。それを20年後の都市化の姿を展望し、問題解決の方向、手法を単なる理論だけでなく、政策ベースに乗せたという意味で、この大綱は高く評価されてよいだろう」(昭和43年5月26日付)

 もとより、「角福総裁選」が行われる約4年前の自民党内外からのこの大綱への拍手、田中の“その日”を期した早々の動きを尻目に、佐藤派の“親福田議員”たちの動きはほとんどなかった。あらゆる戦いは、その前段にいくつかの伏線があることを、見逃していたことにほかならなかったのだった。

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