徳川家康は替え玉?家康は戦死し、実は影武者だった説を検証 (1/2ページ)
徳川家康(とくがわいえやす)といえば、江戸幕府の初代征夷将軍で、徳川260年の太平の世を実現させた有名な歴史上の人物。そんな家康に実は影武者説があるのはご存知でしょうか。
その説によると、「実は家康は戦死しており、途中から世良田次郎三郎という人物が将軍・家康を演じた」というのです。
将軍・家康が影武者だとして、本物と入れ替わった時期はいつ頃でしょうか。
それに関しては諸説あります。
① 桶狭間の戦いから数年後、松平元康は無事に今川家の支配から独立したが、家臣によって討たれてしまい、影武者と入れ替わった。
② 大阪夏の陣において真田の猛攻により討たれてしまい、影武者と入れ替わった。
史実を紐解けば、確かに不審な点は幾つかあります。もしも、松平元康時代に入れ替わっていたとしたら長男である信康の切腹も平気で命じたでしょうし、後に結城秀康や徳川秀忠になる実子たちのために信康をしまくしたくなったとしてもおかしくありません。
さらに家康と徳川秀忠は親子にもかかわらず晩年は仲が悪かったと伝えられています。これが赤の他人だったとしたら納得もできます。
それと関連して、船橋にかつて存在していた船橋御殿(現在の船橋東照宮付近 鷹狩に行く際に家康が何度か宿泊した)に家康が宿泊した際も不審火がでており、秀忠の手のものが家康暗殺を狙ったものとも伝えられています。
また、堺の南宗寺には「家康の墓」と称される墓があります。これは、近代になってから関西系の起業家たちの篤志により建立されたもので、もちろん当時のものではないのですが、元になった文書があります。それが「堺鏡」。
そこには家康が討たれたという記事があり、寺そのものにも徳川秀忠や徳川家光が墓参りに来た際の奉納物がいくつか伝えられています。
