百田尚樹『日本国紀』よんでみた:ロマン優光連載122 (3/5ページ)

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そもそも、保守もリベラルも右翼も左翼もちゃんと認識できてない、真摯に考察し定義付けるような作業をしたことがないのではないか。百田氏にあるのは思想ではなく、テレビ人として培われてきた「ウケればいい」という発想と、「日本・日本人最高」という気分だけなのではないかという疑念が浮かんでくる。
 結局、前半部はそんな感じでぼんやりとしており、宣伝文の煽りとは対称的に天皇と日本の関係性について特に掘り下げることもなく、ウケがよさそうな諸説、自分にとって気分のいい諸説を並べていくだけである。

まるで『殉愛』みたいですね

 百田氏によれば日本の歴史には大虐殺や宗教による争い、奴隷制度は存在しないというが、客観的に見てそうなのだろうか?
 鎌倉時代に乱発された族滅。弘安の役の際の取り残された元兵の末路。なでぎり。薩摩藩の琉球出兵。松前藩のアイヌ支配。一向一揆。キリシタン弾圧。不受不施派弾圧。おじろく・おばさ。明治五年の別名・牛馬解き放ち令こと「娼妓解放令」。それらが実在した証拠はいくらでも出てくるだろう。何人以上でないと大虐殺ではないとか、他国の奴隷とはこういうところが違うから奴隷じゃないとか、文学的修辞みたいな話をする人もいるかもしれないが、言葉遊びをしたところで実体は変わらない。
 単に、自分にとって気持ちいい事実だけを摘まんで語っているだけで、全体的に見ていないのだろう。30枚の下着を盗んだことがないという事実があるからといって、その男が下着泥棒ではないとは限らない。5枚の下着を盗んだという事実があるなら、その男は下着泥棒なのだ。一部の事実を元に他の事実を隠して結論を導きだすとするなら、その結論は事実とは言えない。

 百田氏は『日本国紀』に書かれていることが全て事実であると豪語している。その姿に何かを思い出さないであろうか? そう、『殉愛』刊行時の百田氏の姿である。『殉愛』について、内容は全て事実であると豪語していた百田氏。やしきたかじん未亡人の一方的な話を鵜呑みにし、たかじんの遺族やマネージャーを悪辣に描いた結果、裁判の課程で多くの虚偽が含まれていると認定されるに至っている。たかじん未亡人の虚偽の証言に騙されていた場合もあれば、未亡人を美化するため百田氏が事実をねじ曲げた場合もある。

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