百田尚樹『日本国紀』よんでみた:ロマン優光連載122 (1/5ページ)

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百田尚樹『日本国紀』よんでみた:ロマン優光連載122

ロマン優光のさよなら、くまさん

連載第122回 百田尚樹『日本国紀』よんでみた

 やはり、百田さんという人は凄い人だ。
 セミリタイアした特に歴史についての素養のない初老のおじさんが急に日本の歴史に興味をおぼえ、ネット上の歴史読み物サイトやWikipedia、駅やコンビニで売ってるような軽い歴史雑学本、本職の歴史学者でない人の怪しげな新説本や売れることを狙った意図的な奇説本、及びにそれらに影響された個人blogを参考に、特にオリジナリティのない、孫引き・ひ孫引きの「僕の考えた日本の歴史」をblogに書き連ね、そこで勝手な思い込みで薄い妄想を垂れ流していたところで特に害もないかもしれない。そんな文章量だけ多い、目新しい情報も深い考察も斬新な視点も存在しない内容的にはどうでもいいものに興味を持つ人間など殆どいないだろうし、影響力を持つなんてこともないだろう。
 しかし、百田さんが同じようなことをするとなると、書籍化された上に、日本の通史の決定版であるかのように喧伝されてベストセラーになるわけで、全くもって百田さんというのは凄い人だ。読む前からありがたがってる人すらいるわけで、百田さんの尊さはもはや我々の想像を遥かに超えているといっても過言ではないだろう。

 通史の決定版といいつつ、この本には参考文献、参考論文といったものの記載がなく、資料の取り扱いにも疑問が残り、正式な歴史書と到底言えるものでなく、実際のところ文芸書扱いであるということは各所で既に指摘されている通り。実際のところ、歴史読物というのが正解だろう。しかし、歴史読物としても過去の偉大な作家の作品、例えば坂口安吾のそれと比べれば、薄い情報の羅列がメインで自身の見解が披露される箇所も少い上に、見解自体の独自性も薄く、「こうだったらいいのになあ。」的な願望や単なる感想が述べられているだけなので、読物としての面白味に欠けるきらいがある。
 歴史書としても、読物としても中途半端になってしまい面白味に欠けてしまうのであれば、いっそ、司馬遼太郎のように司馬史観ならぬ百田史観に基づく歴史小説を書いて人々を夢中にさせ、日本人の歴史観を変えてしまうぐらいの影響を与える方向を目指せばよかったのではないだろうか。それができるならではあるが。

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