巨人対阪神「“新監督”血の抗争」長嶋茂雄VS野村克也の代理戦争勃発! (2/5ページ)

日刊大衆

それは球界最大のライバル、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督(82)と、野村克也氏(83)に他ならない。

 原監督は、長嶋第二次政権下でコーチとなり、そこで巨人指揮官としての帝王学を叩き込まれた。「試合後は、2人きりで采配を振り返るのが恒例でした。もともと原さんは“長嶋派”ではなく藤田派。それでもミスターは、後継者として惜しみなく野球理論を伝授したんです。そんなミスターに最後は原さんも、すっかり心酔していたといいます」(巨人番記者)

 英才教育を受けた後、原コーチは、長嶋氏の後任として監督に就任。師匠の期待に応え、就任1年目で日本一達成という快挙を成し遂げている。

 一方の矢野監督は、1999年に阪神監督に就任した野村氏によって、球界を代表する名捕手へと育て上げられた。「野村さんは“頭を使え!”と、矢野に考える野球を意識させていった。もともと守備には定評があった矢野ですが、これで打撃が開眼。打率3割をマークできるようになり、結果、捕手としても洞察力やリードがさらに成長していきました」(虎番記者)

 野村氏のボヤキを間近で聞き続け、野球脳を確立していった矢野監督。今でも、“野村監督に教わったことが財産”と公言している。

■オールスター戦でも本気で抑えにかかって

 長嶋、野村両氏に、大きな影響を受けた原と矢野。彼らの激突が“代理戦争”となる背景には、やはり師匠の長い対立の歴史がある。その始まりは、現役時代にまでさかのぼる。巨人の長嶋、南海の野村。年齢的に同学年でもある2人は、セ・パ両リーグを代表する強豪チームの中心選手として出会った。しかし、その地位を築くまでの道のりは、あまりにも対照的だった。

「六大学野球の人気者だったミスターは、争奪戦の末に巨人入団。契約金は当時の最高額でした。

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