荒海こえて行ったり来たり!日本書紀に登場する北方の異民族「粛慎(みしはせ)」とは? (4/7ページ)

Japaaan

【原文】於是肅愼人移就瀨波河浦。浦神嚴忌。人敢近。渴飮其水。死者且半。骨積於巖岫。俗呼肅愼隈也。
※『日本書紀』欽明天皇五年十二月条

記述はここまでとなっていますが、恐らく粛慎の人々は「もうこれ以上ダメだ!定住or拠点化は諦めよう!」と撤退していったものと考えられます。

こうして日本人と粛慎とのファーストコンタクトは終わったのでした。

斉明天皇による粛慎征伐の始まり

その後しばらく『日本書紀』から粛慎に関する記述がなくなりますが、次に粛慎の人々が登場するのは、ファーストコンタクトから一世紀以上が経過した斉明天皇四658年。

ここで猛将・阿倍比羅夫(あべのひらふ)が登場、三年間にまたがる粛慎討伐の始まりです。

月岡芳年 『大日本名将鑑 阿部比羅夫』明治十一1878年。

斉明天皇四658年、越国の国守である阿倍引田臣比羅夫が粛慎を征伐、戦利品としてヒグマ2頭、ヒグマの毛皮70枚を献上。

【原文】是歲、越國守阿倍引田臣比羅夫討肅愼、獻生羆二・羆皮七十枚。

斉明天皇五659年3月、阿倍引田臣比羅夫が粛慎を征伐、捕虜39人を献上したとも言われます。

【原文】或本云、阿倍引田臣比羅夫與肅愼戰而歸。獻虜卅九人。

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