荒海こえて行ったり来たり!日本書紀に登場する北方の異民族「粛慎(みしはせ)」とは? (2/7ページ)

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……と言うより、むしろ中国政権側からの呼び方(記録に残す名称)が移り変わっただけで、当の粛慎たちは大して気にしていなかったのかも知れません。

そして日本は日本で、粛慎という古称(昔からの呼び方)をそのまま使い続けていた可能性もあり、ここでは「粛慎(みしはせ)≒粛慎(しゅくしん)」という説を前提とします。

また、粛慎の読みについても「みしはせ」だけでなく「あしはせ」とする説もあり、いまだ謎に包まれています。

怪現象や略奪騒ぎ……「粛慎」とのファーストコンタクト

『日本書紀』によると、日本人と粛慎のファーストコンタクトは欽明天皇五544年。

越国(こしのくに。現:北陸地方)の住民が言うには、粛慎の人々が船でやって来て、御名部(みなべ。佐渡島北部の地名だが、詳細不明)の海岸に停泊。

春や夏には魚を獲って暮らしていたそうですが、佐渡島の住民たちは「あいつらは人間じゃない。鬼かも知れない」などと恐れて、彼らに近づくことはなかったそうです。

【原文】越國言。於佐渡嶋北御名部之碕岸有肅愼人。乘一船舶而淹留。春夏捕魚充食。彼嶋之人言非人也。亦言鬼魅、不敢近之。
※『日本書紀』欽明天皇五年十二月条

ある時(粛慎の人々が滞在中)、佐渡島の東部にある禹武(うむ)村の住民がドングリ(椎の実)を集め、煮て食べようと灰の中で炒って(灰汁抜きのため?)いたところ、ドングリが二粒、それぞれ小人の形になって一尺(約30センチ)ほども飛び上がり、互いに喧嘩を始める、という怪現象がありました。

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