荒海こえて行ったり来たり!日本書紀に登場する北方の異民族「粛慎(みしはせ)」とは? (5/7ページ)
※それぞれ『日本書紀』斉明天皇四年条、同五年三月条
など、随分と簡素な記録ですが、翌斉明天皇六660年3月には、詳細な粛慎征伐の記録が残されています。
三度目の大遠征・阿倍臣率いる大船団斉明天皇は阿倍臣(名前が明記されていないが、恐らく比羅夫と思われる)に二百艘の船団を率いさせて粛慎討伐に派遣。遠征の道中で蝦夷の軍勢を組み込みながら、阿倍臣らは大河(アムール河?)のほとりに到着しました。
【原文】遣阿倍臣<闕名>、率船師二百艘伐肅愼國。阿倍臣以陸奥蝦夷令乘己船到大河側。
※『日本書紀』斉明天皇六年三月条
すると、渡島(現:北海道と推定)から来ていた蝦夷が千人ばかり海岸にいて、その中から二人ばかりが阿倍臣の前に進み出て「粛慎の大軍が私たちを殺そうとしています。お仕えしますので、どうか助けて頂けますようお願いします」と申し出ます。
【原文】於是渡嶋蝦夷一千餘屯聚海畔、向河而營。々中二人進而急叫曰「肅愼船師多來將殺我等之故、願欲濟河而仕官矣」。
※『日本書紀』斉明天皇六年三月条
話を聞いた阿倍臣は二人の蝦夷に粛慎軍の布陣や軍船の数を訊ねると、蝦夷らは粛慎軍の居場所を指して軍船は二十艘あまりであると答えました。
そこで阿倍臣は使者を出してアプローチを試みるも、粛慎からのリアクションはありませんでした。もしかしたら、自分たちより十倍ほども多勢な阿倍臣の軍勢に、恐れをなしたのかも知れません。
【原文】阿倍臣遣船喚至兩箇蝦夷、問賊隱所與其船數。兩箇蝦夷便指隱所曰「船廿餘艘」。即遣使喚而不肯來。