「人生にほんの少しの彩りがあれば前を向ける」 作家・伊与原新が『月まで三キロ』で伝えたかったこと (3/5ページ)

新刊JP

――完全に再生するかは分からないけれど、前を向こうとする力をくれる。

伊与原:そうです。この短編集で描きたかったのは、前向きになって人生が好転するという話ではなく、心にほんのわずかな変化が起きた人たちの物語なんですよね。それが読者にとっても励みになるんじゃないかと。まるっきり好転したら逆に嘘くささを感じてしまうじゃないですか。

――確かに、人生はそう簡単には変わりません。

伊与原:そう簡単に変わらないからこそ、ほんの少しでも彩りがあれば、前を向くことはできるかもしれないということですよね。

――火山学者の「先生」とその弟子となる学生、そして山が好きな女性のやりとりを描く「山を刻む」で、終盤に学生が「先生」について語るところがあります。あの言葉はまさに、好きなものがあることの大切さを物語っているのではないかと思いました。

伊与原:実は「山を刻む」の先生は、私の研究者時代に周囲にいた何人かがモチーフになっています。特定の人というよりはいろんな人を重ね合わせた形ですね。
火山学者の中には山にさえ登っていればいいという人もいますし、海の研究者の中には船に乗っているのが何より好きという人もいます。好きなものが立派な研究成果や名誉に直結しなくてもいいという人も多いんです。本当なら授業もせず論文も書かず、一日中岩石を顕微鏡で見ていたいと言っている教授もいました。まさにそうなんだろうなと。

――伊与原さんご自身ももともと研究者でしたが、そういう感じだったんですか?

伊与原:いえ、僕はそういうところが足りなくて研究者をやめたんです(笑)。
ただ、あの世界にいたからこそ、科学の世界で生き続けている人たちの魅力は分かっているつもりだし、うらやましくもあります。本当にそれさえあれば何もいらないという人はたくさんいますし、そういう人でないと生き残っていけない世界でもありますから。

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