国道17号線沿いで起こった八大陰惨殺人事件 (3/3ページ)
ちなみに中山道69宿のうちで一番栄えていたのは、本庄宿であったと言われている。養蚕がもたらす現金は、人を集めたのだった。
北関東に人と金が集まるようになると、当然ながら人心は乱れ、治安は悪化した。そのため、幕府は風紀を引き締めるために、1805年に関東取締出役という出先機関を設け、遊び人や無宿人たちを取り締まった。
つまり、江戸時代の中期には、中山道や三国街道といった17号線の前身の街道において、犯罪の温床ができあがっていたのだ。
さらに時代が下り、明治時代に入っても本庄の繁栄は続き、東京から遷都すべきだと唱える者もいたほどだった。そして、今も北関東に公営のギャンブル施設が目立つのは、この土地の持つ歴史と無関係ではない。
現在においても、北関東には自動車工場や食品工場が数多くあり、日本経済の重要な役割を担っている。工業地帯で必要とされるのは、安い労働力である。ここに南米を中心とした外国人のコミュニティーができているのは、こういう理由がある。
一方で、労働者として日本にやって来た外国人による犯罪は後を絶たない。2015年、熊谷で起こった事件は、行き詰まった彼らによる象徴的な事件かもしれない。
17号線という東京と北関東、新潟を結ぶ幹線道路は、昔も今も日本経済の大動脈であり、常に様々な国と地域から人を集め続ける。それ故に、犯罪は宿痾のように17号線沿いの地域で起こり続けるのである。