村田兆治「ダルビッシュ有や大谷翔平も受けたトミー・ジョン手術の先駆け」昭和男の魂インタビュー (3/5ページ)

日刊大衆

「兆治、おまえの何がなんでも勝ちたいという気持ちは分かる。しかし、もういいだろう。十分、投げたよ」

 でも、こっちは完投するつもりだったからね。「監督、この試合を俺にください」と言って、監督からボールを奪い取った。その結果が155球の完投勝利。投げ終えた瞬間、これで、やっと復活を確信することができたんだ。

 それからは1週間に1度、日曜日の先発が指定席になった。中6日は以前の俺からすれば、ずいぶん登板間隔が空いている。でも、当時の自分にはそれが精いっぱい。肘を手術してから7年間で59勝しているけど、手術する前の156の勝ち星より重みを感じるよ。

 俺は、40歳で迎えた1990年のシーズンを最後に、現役を引退した。この年は10勝8敗だったし、まだ、できるんじゃないかと言ってくれる人もいたけど、もう完投する力がなくなりつつあったんだ。事実、この年の完投は4試合だけ。俺はエースなら「先発完投」が当たり前だと思っている。同じ1勝でも、6回しか投げていないのと、9回を投げ切ったのでは価値が違う。だから、もう引き際だと判断したんだ。

 最後の登板は雨だった。5回を投げたところで、雨が激しくなってコールド勝ち。翌日の新聞には「神が舞い降りた」なんて書かれたけど、神様に助けてもらうようじゃ、おしまいだよな(笑)。

■リーグ優勝や日本一を経験するも、ノーヒットノーランは…

――リーグ優勝と日本一を経験し、最多勝や最優秀防御率など数々のタイトルを獲得した村田氏。しかし、唯一、果たせなかった夢が「ノーヒットノーランの達成」だという。

〈村田〉 ノーヒットノーランはピッチャーにとって夢であり、永遠の憧れ。一度でいいから達成したかったね。1安打ピッチングなら5回やっているんだよ。だから、“あの1本さえ打たれなかったら……”という気持ちはある。でも、結果的には、その悔しさが通算215の勝ち星につながったのかもしれないね。やっぱり、ノーヒットノーランを達成するには、運や巡り合わせも必要なんだと思うよ。

 1973年のシーズン終盤。首を寝違えてしまって、先発を回避しなければならないことがあった。

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