村田兆治「ダルビッシュ有や大谷翔平も受けたトミー・ジョン手術の先駆け」昭和男の魂インタビュー (4/5ページ)
このとき急遽、俺に替わって投げてくれたのが、後にロッテの監督も務めた八木沢荘六さん。急な登板だったから、無欲無心で投げたのが良かったのかな。ベンチの心配をよそに八木沢さんは飄々と投げ続け、あれよあれよという間にノーヒットノーランどころか、完全試合を達成してしまった(笑)。これには驚かされたよね。
まあ、ノーヒットノーランの夢はかなわなかったけど、70年代80年代に、パ・リーグを代表する数多くの名投手や強打者と対戦できたのは俺の大きな財産だよ。お互いをライバル視して、しびれるような投げ合いをしたのは阪急の山田久志、西武の東尾修といった同世代のエース。登板日を予想しながら、できるだけ彼らとぶつかるように先発させてもらった。俺が彼らと投げ合えば、他の投手の勝てるチャンスも増えるしね。
打者なら、とにかく相手チームの看板選手を抑えることに力を尽くした。主砲を抑えれば、他のバッターに格の違いを見せつけられるからね(笑)。そんな中でも、対戦に生きがいを感じたのは南海の門田博光さん。彼には一度、最高のスライダーをサヨナラ本塁打されたことがあるんだ。おそらく門田さんは、俺のストレートを待ちながら、スライダーにも対応できたんだろう。だから、それからは絶対にスライダーは投げまいと思ったよね。フォークボールは、ほとんど打たれていないはずだよ。
門田さんも俺を攻略するのに必死だったみたい。ダンベルやベンチプレスでパワーをつけ、俺の球威に押されないように、鉄のボールを打って練習していたというからね。そういう話を知ると、こっちも真っ向勝負したくなる。向こうも常にフルスイングで勝負してきた。そういえば、俺のフォークボールを打つために、打席内ですり足で前に出て、ボールの落ち際を狙ってきたこともあったよ。こうした真剣勝負を重ねながら俺も成長できた。今思い出しても、門田さんとの対戦は体中に鳥肌が立つような緊張感があったね。
■現役引退後もマスターズリーグなどでマウンドに
――現役引退後も、村田氏はマスターズリーグなどでマウンドに立ち、マサカリ投法から豪速球を投げ込んでいる。その球速は140キロ超えを記録し、球場を沸かせてきた。