長野久義、村田修一、清原和博…巨人に捨てられた男たち (2/5ページ)

日刊大衆

その後、日ハムのスカウトを門前払いするほど頑なな態度で、入団を拒否しています」(前同)

 そして社会人のホンダに入社し、臨んだ08年のドラフト。またしても巨人から指名はかからず、千葉ロッテが2位指名。ここでも入団を拒否し、社会人残留を選択した。「翌09年、巨人は早くから長野の1位指名を発表。3年がかりで、やっと念願の巨人入りが実現しました。なお、ドラフト当日に原監督が長野を訪問するなど、“VIP待遇”で迎え入れられています」(同) 恋焦がれ、何年もかけて、やっと袖を通せた巨人のユニフォーム。一途な愛を貫いた選手だけに、今回の球団の判断が、あまりに非情に映ったのも無理はない。

「内海も長野も近年衰えが見えるとはいえ、まだまだ主力として十分期待できる選手。そんな2人をプロテクトから外したのは、年俸の高さに加え、FA権を保有していたから、ともいわれています。まさか、そんな選手を指名してこないと思ったんでしょうね。しかし結果的に、2人が巨人のFA戦略の犠牲者になってしまったことは、否定できません」(同)

■巨人から非情な戦力外通告

 1993年オフにFA制度がスタートして以来、大きな恩恵を受けてきた巨人軍。その中心にいたのは、長嶋茂雄監督だった。「93年に監督復帰して3位に終わったミスターは、さっそくFAで落合博満を獲得。この補強は功を奏し、翌年、日本一に輝いています」(巨人番記者)

 その後も長嶋監督は、FAで他球団の主力をかき集める“大型補強戦略”を推し進めた。そして長嶋流のチーム編成術は、愛弟子である原監督に引き継がれ、3連覇2回という常勝軍団を作り上げる。

 しかし、そんな大型補強の陰では、球団から見捨てられてしまった選手も少なくない。「プロは実力の世界ですが、FA以降、球団のシビアな面が浮き彫りになったのもまた事実。

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