長野久義、村田修一、清原和博…巨人に捨てられた男たち (4/5ページ)

日刊大衆

そこには、大好きな巨人で現役を終えたいという強い思いがあったといわれています」(同)

 そして05年、清原は開幕4番に座り、復活の兆しを見せる。しかし、まだシーズン真っ只中の8月、当時の清武英利球団代表から“来シーズンは契約しない”と、早すぎる戦力外通告を受けてしまう。

「清原の場合、故障による衰え以外に、チーム内での“素行の悪さ”が球団側から問題視されていたのも大きい。ちなみに同日、清原の舎弟格だった元木大介にも戦力外が言い渡されています」(前出のベテラン記者)

 その後、清原はオリックスに移籍するが、満足に活躍できないまま08年に引退。“巨人でユニフォームを脱ぎたい”という清原の夢を、球団がまたも裏切ってしまう結末となった。

■桑田真澄も巨人と決別

 85年“涙のドラフト”のもう一人の当事者、桑田真澄の最後も、また寂しいものだった。巨人のエースとして173勝を挙げた桑田が、2軍暮らしを続けていた06年。桑田は9月に清武代表と面談し、巨人と“決別”することになる。「この席上、代表は桑田に引退勧告するとともに、将来の巨人指導者として、アメリカへのコーチ留学を提案。しかし桑田は、これを拒み、現役続行にこだわりました」(球界事情通)

 桑田は、球団発表に先駆け、自身のホームページに、〈明日、ジャイアンツのユニフォームでマウンドに立つのは、おそらく最後〉と、退団を示唆するメッセージを発表。2軍の最終登板前日のことだった。「桑田は“花道”の1軍昇格を待っていたものの、声がかからなかった。そこで、ファンのため“引退試合”の告知に踏み切ったといいます。しかし球団側は、桑田の一方的な退団発表に激怒。

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