田中角栄「名勝負物語」 第五番 小沢一郎(2) (2/3ページ)
お座敷は常に笑いが絶えぬ明るいものでしたが、息子さんを亡くした直後にいらしたときは、一変したものです。しゃべらず、うつむきながら、しきりに盃をあけていらっしゃった。先生の落ち込みぶりが知れたものです」
★「田中流」選挙作法の伝授
さて、2人の出会いから2カ月ほど経った43年暮れ、小沢はバス5台を連ね、後援会幹部、支援者ら約200人とともに、岩手県水沢から東京・目白の田中邸にやってきた。じつは、これは初めて会ったときの田中一流の指示であった。父親の急逝にともなって後継問題で後援会がモメたことは、組織がいささか弛んでいることを物語る。まず、その引き締めが不可欠だ。それには、自分が後援会幹部の前で念を押すのが一番効果的であるとしたのである。
早朝、バスを降りた一行が田中邸母屋前の庭に通されると、庭にはテーブルが並び、食事に加えて早朝だというのに酒、ビール、ジュースまでが林立しているではないか。後援会幹部が、「なるほど、これが噂に高い“型破り幹事長”なのか」と目を丸くしていると、やおら田中が立ち上がり、小沢を傍らに立たせてあいさつを始めたのだった。
「皆さんッ。ワシはね、長男を数え6歳で亡くしておるんです。生きておれば、この小沢君と同じ年だ。小沢君を見ていると、まるで自分の子供を見ているような思いがする。小沢君は、面構えもなかなかよろしい。公認は、この田中角栄が責任を持つから心配なきよう。当選後は、このワシが育てる。後援会の皆さんは一致団結、なんとしても小沢君を当選させてほしい」
あいさつはあいさつで終わらず、政治の現状に触れての演説と化し、じつに1時間も続いたのだった。田中の演説は相手が誰であれ、聴き手の数が多かろうが少なかろうが関係なく、手抜一切なしの全力投球、誠心誠意で語るから説得力がある。ここでの後援会幹部らもまた、その迫力に圧倒されながらも感激ひとしお、小沢の当選へ向けて団結を新たにしたのだった。
明けて44年1月、小沢は新年のあいさつ方々、平河町の自民党本部4階の幹事長室に田中を訪れている。ここではやはり田中の秘書であった早坂茂三(のちに政治評論家)が、2人の様子を目撃している。早坂は、筆者にこう言ったものだった。