原辰徳、松井秀喜、清原和博…ジャイアンツ長嶋茂雄が愛した男たち (4/8ページ)

日刊大衆

「東海大相模時代から、爽やかなルックスと豪快なバッティングで甲子園を沸かせていた原だけに、ミスターは高校卒業後すぐ、巨人に来てほしかった。ただ、原は父親の貢さんが監督を務める東海大への進学を決心していた。そのため、長嶋巨人には間に合わなかったんです」(スポーツ紙巨人担当デスク)

 原は93〜95年(引退)までの3年間、第2次長嶋政権で選手として活躍したが、そのときは、すでに全盛期を過ぎていた。「99年に原が長嶋巨人のコーチに就任してからが、2人の本当の蜜月の始まりでした。長嶋さんは“自分の後継者は原しかいない”と考えており、作戦から選手との接し方、補強策の練り方まで丁寧に原に教え、原もこれに感激したといいます」(前同)

■メジャーリーグ挑戦秘話

 93〜2001年までの第2次長嶋政権では、巨人は3度のリーグ優勝(うち日本一2回)に輝いているが、その立役者はなんといっても松井秀喜だろう。「松井が目玉だった92年のドラフトで、巨人のスカウトは社会人投手でナンバーワンとされていた伊藤智仁を1位指名する方針で動いていました。これに激怒したのが、同じ年に監督に復帰を決めたミスターです。“松井は必ず日本を代表するバッターになる”と、松井1位指名に大転換させたんです」(同)

 4球団が競合する中、自ら抽選で交渉権を引き当て、晴れて松井は巨人入りする。「ミスターは、ドラフト前から松井の外野コンバートを決めていました。なんだか、“松井は必ず巨人に来る”と信じていたようなフシがありますね」(同)

 松井が入団するや、「4番1000日計画」を掲げ、マンツーマン指導に乗り出した長嶋氏。師弟の絆は、次第に強固になっていくのだが、それをうかがわせる、こんな秘話がある。「松井がメジャー挑戦をブチ上げたとき、巨人は総力を挙げて、これを阻止しようとしました。

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