客船、タイタニック号とほぼ同時期に作られた双子の姉「オリンピック号」に関する物語 (2/6ページ)

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 「この2隻がとてつもなく巨大だったのは、壮麗だったからではない」1999年のドキュメンタリー「タイタニックの悲運の姉妹たち」の中でジョン・マクストン・グラハムは言っている。「旧世界から新世界へ向かおうとしていた移民の流れをさらに拡大しようとしたからだ」

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オリンピック号の大階段

・オリンピック号の処女航海を担った船長はタイタニック号で悲劇に

 人生を賭けた旅というより、もっと巨大な市場があったのだ。1911年、オリンピック号はフランスからアメリカへの処女航海に出た。船長はエドワード・スミス。彼はのちにタイタニック号で悲劇的な最期を遂げる。

 オリンピックもタイタニックも最高級の快適さを提供した。ジムやトルコ式風呂やプール、さまざまな店舗、エレベーター、ダイニングなどが完備されていた。

 オリンピック号では2等や3等の客でさえ、羨ましいほど贅沢な海の旅ができた(例えば、喫煙室、図書室、ダイニング、専用エレベーターなどがあった)。

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 タイタニックとオリンピックは外見も内装もうりふたつで、どっちがどっちかわからなくなるほどだった。下のラウンジの写真は、パリのカフェをモデルにしたもので、両方の船にある。
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