客船、タイタニック号とほぼ同時期に作られた双子の姉「オリンピック号」に関する物語 (5/6ページ)

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軍艦ホークと衝突した際のオリンピック号の損害

 これがホワイト・スター社の保険金詐欺という説をさらに勢いづかせたようだ。

 壊れたプロペラシャフトやその他の部分を、当時まだ建造中だったタイタニックの部品と交換しなくてはならなくなった。

 そして、1912年には、オリンピックは海に戻ってきた。第一次世界大戦が勃発したとき、オリンピックはヨーロッパから戦争を逃れようと必死だった人たちを詰め込んで、大西洋を行き来し続けた。


・戦争に参加したオリンピック号

 ドイツのUボートの脅威が増す中、オリンピックは153人の乗客を乗せて、最後の商業航海に乗り出していた。

 このとき、近くにいたイギリスの戦艦からSOS信号を受けて250人のクルーを救助した。その後、オリンピックは正式に戦争に駆り出されることになった。

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image credit:戦争仕様の迷彩塗装を施したオリンピック号

 眩惑させるようなペイントでカモフラージュされたオリンピックは、多くの部隊を輸送し、第一次大戦の海上戦を生き延びた。

 この元豪華客船は、20万の兵士たちを、29万6100キロ以上も運び続け、Old Reliable(頼もしいおばあちゃん)と呼ばれた。
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