客船、タイタニック号とほぼ同時期に作られた双子の姉「オリンピック号」に関する物語 (3/6ページ)

・ネットで出回っているタイタニック内部はオリンピックのもの
ネットでタイタニック内部の写真をよく見るかもしれないが、タイタニックの大階段のオリジナル写真はない。
すべて、双子の姉オリンピックで撮られたものだ。

オリンピック号の大階段
・タイタニックが悲劇の最中、オリンピックは助けに向かっていた
タイタニックが悲劇にみまわれていたとき、オリンピックはどこにいたのだろう?
最初のSOSを受信したとき、オリンピックはタイタニックからおよそ800キロ離れたところにいたが、すぐに進路を変えて、全速力で救助に向かった。
オリンピックが現場まであと100海里(185キロ)のところまで来たとき、すでに現場に到着していたカルパティア号のロストロン船長は、オリンピックの救助の申し出を断り、進路を変えるよう言った。
海底に沈んだばかりの船とそっくりの船に、動転している生存者たち1500人を乗せるのは、いい考えとは思えなかったのだろう。乗客がさらにパニックになることを、ロストロンは心配したのだ。

その後、オリンピックはサザンプトンへの航海を続けたが、沈んだタイタニックに敬意を払って、船内での娯楽は一切キャンセルした。