客船、タイタニック号とほぼ同時期に作られた双子の姉「オリンピック号」に関する物語 (4/6ページ)

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 タイタニックと同様、オリンピックにも十分な救命ボートが装備されていなかったので、陸に着いてから、オリンピックは慌てて、その数を増やした。これには、タイタニックから生還した救命ボートを加えた可能性があるという。

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image credit:悲劇後、ニューヨーク港に着いたタイタニック号の木製の救命ボート

 アメリカやイギリスがこの災害を調査している間、オリンピックは大活躍した。

 このような悲劇を防止する方法を特定するため、海上でタイタニックの沈没を再現する実地検分に使われたのだ。


・タイタニック号沈没の影でうごめく様々な陰謀説

 タイタニックの沈没は、大きな論争を呼び、とんでもない陰謀説まで飛び出した。

 ひとつは保険金詐欺だったというもの。航海前にタイタニックとオリンピックは密かにすり替えられていて、1912年4月の運命の夜に実際に沈んだのは、実はオリンピック号のほうだったという説だ。

 もうひとつは、タイタニックのオーナー、ウォール街の帝王、J.P.モルガンが、ライバルたちを計画的に消すために仕組んだ事故だったというもの。

 ジョン・ヤコブ・アスター四世、ベンジャミン・グッゲンハイム、イシドー・ストラウスら、彼のライバルと目されていた人物たちは船もろとも海の藻屑となったのだ。

 オリンピックは氷山に衝突したことはないが、この船にもかなりのドラマがあった。

 タイタニックが沈む1年前の1911年、オリンピックは、イギリスの軍艦ホークと衝突して、船体にふたつの穴があいてしまった。
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